摂理の英語版ニュースサイト 鄭明析牧師について

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摂理のNEWSサイト(英語版)が出来ました(^^)
気になる方はぜひ見てみてください。
全文英語です(‘ω’)

Like many new religious movements, Providence church founded by Jung Myeong Seok is often persecuted by the media. The Feed by SBS Australia aired a biased report and now members of the church are coming forward to tell the truth. This video reveals the behind the scenes true stories and provides context to correct the Feed’s false depiction of the Providence religious movement.
引用:摂理マンデーサイト

 

摂理が正しいのかどうか、鄭明析牧師が正しいのかどうか。

それは結局のところ、自分自身が判断するしかないといつも思います。

 

私は摂理にいる21年間、本当にいろいろありました。
摂理にいるからともいえるし、いなくてもあっただろうとおもいます。

 

しかし、私が摂理にいながら神様を知れたこと、また神様を知ろうとした事実を曲げることはできません。

私は神様の存在をもともと信じていました。
もともと信じていたにも関わらず、それ以上でも以下でもありませんでした。

 

日本人で神様を信じている人自体が少ないですから、信じている時点である意味、希少種?なのかもしれませんが
でも、信じている以外は何もありませんでした。

 

そんな私に、

神様が一体どういう方なのか
神様を知ることがなぜ大切なのか
一体、何が罪で何が罪ではないのか

 

世界で一番宗教人口が高いキリスト教とは何なのか
世界で一番売れ続けているベストセラーの聖書とは何なのか
世界の偉人たちに最も影響を与えたといわれるイエス・キリストとは何者なのか

 

人は何の為に生まれてきたのか
人は死んでからどうなるのか
人は生きてる間に何をすべきなのか
人はどういう状態が幸せと言えるのか

 

お祈りとは何か
求めるとは何か
本当に変わらないものとは何か

 

それを教えてくれたのは紛れもなく摂理の御言葉であり、鄭明析牧師の御言葉です。

 

私は誰が裁判にかけられようが、それ自体は私に影響を及ぼしません。
新約聖書の使徒行伝などを見ると、イエス様の弟子のペテロやパウロなどが何度も今でいう法廷・裁判の場で幾度となく答弁をしています。

 

異端と言われても同じく影響を及ぼしません。
イエス・キリストも、またその弟子たちも異端扱いでした。

 

私は小さい頃から、仏教の世界を通して宗教というものを知りました。
教えももちろん大事ですが、それと同じくらいに、その宗教を信じる人たちの生き方がいかに大事であり、
見るべきところなのかというのを深々と悟りながら育ちました。

 

新約聖書 使徒行伝の5章を読むと
イエス様の弟子たちが人々を一人残らず癒しているのを見て
大祭司などが嫉妬の念に満たされて立ちあがり、弟子たちを捕え、公共の留置場に入れました。

 

そしてその後、弟子たちを殺そうとした大祭司たちを前にして、
律法学者ガマリエルが話した言葉が、私はとても好きです。

新約聖書 使徒行伝5章 34-40節
国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、
一同にむかって言った、

 

「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
先ごろ、チゥダ(ユダヤの革命家 反ローマ主義者)が起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、
彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。
そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。

 

そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。
その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。
まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。
そこで彼らはその勧告にしたがい、 使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。

ああ、なんとかっこいい律法学者ガマリエルの発言でしょうか。

 

摂理が正しいかどうか、それは自滅するかしないか。
それも大きな判断基準の一つですね。

 

何が正しくて何が正しくないのか。
全ての人の目に見える形で分かるのは、もしかしたら数百年後かもしれない。

 

それでもその時になってあれは正しかったんだと叫ぶのも変。
絶対、生きてないし・・・(*_*)

 

私は生きている限り、正しいと思ったことは正しいと言い続けたい。

 

イエス様が全ての人々を愛しながら話したように、私もそのキリストの愛をもって言い続けたい。

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