一匹でも生きれる摂理猫

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一人でいてもよくできれば、本当に<甲斐>があり、<価値>があり、<自信>が満ちて溢れます。 
鄭明析牧師 摂理の明け方の箴言より

私のそばに、確かに自信に満ち溢れている人がいる。
厳密に言うと一人では・・・ってか一匹。単位からして違うけど。
猫は一人で生きる天才のように思える。
「動物のドキュメントを見ると、その動物を通して悟りがある」
という話を聞いたが
こんな身近に実はいた。

摂理猫の にゃんまるは、一人、否 一匹で生きる天才である。
餌とトイレ掃除を私がやれば、後のことは自分で適当にしている。

暑さにも強く、部屋の中で涼しい場所を自分で適当に選んでそこで過ごしている。
わざわざ「涼しい場所に移動」させる手間なんて必要ない。
お散歩に連れて行く必要もなければ、そもそも外に出たがるふしも無い。
外を眺めたければ、自分で出窓に勝手に行く。

機嫌が良くて甘えたい時は、自分から近づいてくる。
かなり長い時間、一匹で過ごすわけであるが
取り立てて凄く寂しそうな気配もない。

その証拠に私が出かけようとするときに
玄関までついてきたことはない。
帰った時も玄関まで迎えに来てくれたことも殆ど無い。

自分で何とか出来るので、飼い主としては心配がかなり減っている。
POINTさえ押さえておけば、後は自分で出来る生き物なのだ。

今も飼い主の布団で、どーんと悠々と幅きかせて寝ている。
人間もビックリだ。
人間より明らかに面積が狭いはずなのに。
まあとにかく。
猫は自立している。
一匹で生きれる にゃんまるを見ながら
今日の摂理水曜礼拝の御言葉を思い出す。
「まずは自分を作りなさい。そうすれば辛くない。作ってないから辛い。」

にゃんまるが自分を作る努力をしたのかはさておき
予め一匹で生きれるようになっているから
この暑さの中でも自由に生きのびているということは否めない。
やはり作られた人(一匹)は強いのである。

というわけで今週、続けて にゃんまるを観察してみようと思う。

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