生死に関わる事件発生

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ちょっと今日、事件がありました。
私自身のことではないのですが。

 

だからこそ原因がつかみづらく、よく分からないこともたくさん。
突然のことで、どんどん否定的な考えばかり浮かんできます。
そして自分を多大に責めてしまう私がいます。

 

人から見たら理解しにくいことかもしれない。

 

でも、今朝の御言葉で

問題は、「理由もなく」起こることはありません。
良かったのに、「理由もなく」悪くはなりません。
いつも「小さな原因」があり、その原因がだんだんともっと大きな原因になります。

自分自身を詳しく見ることです。
「理由もなく」と言わずに、綿密に見なさい。

綿密に見ると、自分に<答え>がないかもしれないが
<問題>は確実にあります。

何が問題になってつらいのか、苦しいのかを
細かく注意深く見ることです。

 

そして、苦しい時もこうおっしゃいました。

 

<自己管理>も同じです。
苦しい時も「どうして苦しかったのか」を注意深く見なければなりません。

「理由もなく」ではないことを悟るためには、
問題が自分自身にあるということを認め、天の前に祈りましょう。
そのようにして、天があなたに「何」が問題なのかを
知らせてあげます。

問題が何かを知るというのは、本当に高度なこと。
病院に行って原因が分かるように、自分のことでも自分一人では分からないことがある。

 

魂と霊に対して、最も無責任なあなたの言葉と姿勢は
「なるようになれ。知らない」です。

 

瞬間、このように考えそうになってしまったことを悔い改めます(TT)
なるようになれが通用するときもあるけれども、問題が起こった時にこうだと根本解決になりません。
特に生死がかかっている場合は。

 

あなたが生きることを願うなら、
詳しく見ながら探さなければなりません!

問題を通して、答えが出てくるし、
問題を通して<生きる道>も出てきます。

はい、生きることを心から願っています!!!!!

 

それに対する答えは天が持っているから、
あなたの問題をもって天の前に進み出ましょう。

あなたといつも共にする
神様と私聖霊と御子主を忘れないでください。

あなたが分からず、忘れていても、
いつもあなたと共にし、いつもあなたを生かすために行われる
聖三位と主がいます。

本当です。一人一人は<生かされて>います。

 

聖三位とあなたを一対一に結び付けなさい。
そうしなければ、聖三位は変わらないが
あなたは違う人、違う環境、違う状況を見て
聖三位と主の前に疑問を抱いてしまいます。

一対一で天とぴったりとくっついていない分、
「他の要因」があなたと私の間を割り込んで入ってきて
あなたと神様を切り離すのです。

辛い時ほど、神様にぴったりくっついていないと、結局違う何かに期待してしまうと今日感じました。

 

あなたが真実に願っていることが何かを考えなさい。
あなたが最も願う夢を絶対に諦めるないでください。
その中に聖三位と主がいるということを
神様ははっきり知っていらっしゃるのです。

あなたの中にいらっしゃる神様を否定しないでください。
神様は生きて働かれ、
「その夢」を成せるようにあなたを導かれるのです。

神様は状況を変えて「神様の御心」どおり導かれるのです。

私は諦めません。
状況を変えて、私の思いではなく、神様の御心通りにしてくださることを堅く信じます。
揺れそうになる私を振り払います。

 

祈りながら状況を見てこそ、<神様の言葉>が理解できます。

あなたの問題を天の前に委ねてください。
祈りながら、状況がどのように変わるのかを見てください。
その中に、「あなたに向けられた答え」があります。

-問題、すなわち、<核>を探さなければなりません。
現象自体だけ問題と考えないでください。
その中に「根本の核である問題」があります。

-また、神様は肉界の状況を変えながら語られます。

この二つを一緒に見ながら行うことです。
人々は<神様の御心>がどの方向なのか尋ねるますが、
神様はすでに状況と環境を変えて、答えを下さっています。

 

信仰は弱い状態ではもてず、強くならないともてないと深く感じます。
大変な時ほど、神様を信じる心から離れないようにするには
迷いや、何か否定的な考えをなくさなければ出来ないから。

 

主よ、祈ります。祈ります。
信じます、神様を。
状況を変えてくださる神様を信じます。

 

「誰でも心の中で心配するな」。心配していることを分かっておっしゃったのです。
主が「心配するな」とおっしゃったから、聞き従うことがすなわち治す薬になります。

ある問題が難しくなってくると、「自分ですべきことだ」と言って、自分でしようとばかりします。
主を絶対に信じて、絶対に頼り、絶対にしてくださることを信じて、心配しないで生きなさいとおっしゃいました。
信じて生きたけれどもその通りにならなかったといって落胆することなく、最後までしなければなりません。
これが「得ることができる道」です。

生活の中で苦痛、悩み、心配になることがあれば、主に切実に求め、
主がその御心通りにしてくださることを絶対に信じて生きなさいと、主はおっしゃっているのです。

2009年2月8日 主日礼拝 鄭明析牧師の御言葉

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