私が摂理にいながら悲しかったこと、諦めなかったこと

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私は摂理に来て18年たちます。
摂理は、とても嬉しく喜びの場所。
皆、とても良い人達。

鄭明析牧師は、
時にお父さんのようで
時にお母さん(?!)のようで
月明洞(鄭明析牧師の故郷)に行くと
たくさんの御言葉と、たくさんの食事でいつも迎えてくれた。

私達、日本人が徹夜で外でお祈りしていると、
「そんな寒いところにいないで、部屋の中に入りなさい」
と私達のところに来てくれた。
神様のことをいつも教えてくれた。
神様のことを教えてくれるから、お祈りが出来るようになった。
お祈りは神様との対話だと言う。
だから摂理にはたくさん得るものがある。
そんな素敵な私が愛する摂理ですが
摂理に来なければ、このような悲しみは味あわなかっただろう。
幾つかあるけど、そのうちの一つとして
「自分がいつまでも変わらないこと」
だった。
あれだけ御言葉を教えてくれたのに
あれだけお祈りしてもらったのに
ふがいない自分に自暴自棄したこともたくさんあった。
というか、いつもしていた。

「変化しなさい」
「変わりなさい」
でも変われない。
周りの人と比較した。
周りの人のほうが変化してるように見えた。
自分は全然変わってないように見えた。
いつまでも変わらない自分。
同じことを繰り返す自分。

でもそのたびに立ち上がらせてくれたのも
摂理の御言葉だった。
「諦めるな」
「諦めなければそれでいい」
私は不思議なことに諦めそうになったことは
星の数ほどあるけれども
「諦めた」
ことはない。
マルチン・ルーサー・キング・ジュニア、通称キング牧師は
1963年8月23日「I Have a Dream」(私には夢がある)
という言葉を残している。

「友よ、私は今日あなたがたに言いたい。
われわれは、今日も、明日も、多くの困難に直面するだろうが、それでも、私には夢がある。」
そうだ。
私には夢がある。
私には変えられない夢であり思い。
それは
「神様にずっと笑っていてほしい」

神様はあまりにも今まで涙をたくさん流された。
旧約聖書でも新約聖書でも、神様がしてくださったことに対して
人間はたくさん裏切ってきたことが記録されている。
「この世で一番悪口を言われたのは神様、次にキリスト、その次に弟子達、信じた人達」
と言われている。
だから、私のしたことが少しでも神様を喜ばせることになるのであれば
私の生きた意味がある。
この夢があったからいつまでも変わらない自分に自暴自棄した。
神様を笑顔に出来ていないのでは?という自分に自暴自棄した。
でもこの夢があったから私は諦められなかった。
自分を。
私の愛する神様が諦めるなと話してくれたから
だから諦められない。

私の好きな摂理の御言葉。
「人生、一生、自分を作ることだ。」
アーメン。
やはり諦められません。
自分を作ること。そして神様に笑顔になってもらうこと。

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