心の病ー消えたいと思っていた私は摂理に来てから生きたいと思うようになった

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心の病が重度の時は死にたいとまで思ってしまいます。

私は摂理に来るまで、毎日のように消えて無くなりたいと思っていました。

私が生きる理由をどうしても見つけられませんでした。

それが数年続いたあと、摂理で御言葉を聞くようになりました。

 

〜すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、

わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。〜

(マタイによる福音書11章28-30節)

 

この聖句の通りに

御言葉を聞いていくことで、今までの考えが変わって、行動が変わって、楽になったことを書きたいと思います。

 

人を意識していたところから神様を意識するようになりました。

人の評価を気にして、人に好かれるように生きていたのですが、

人の評価というのはその個人個人によって異なるのでキリがなくて大きなストレスになっていました。

御言葉では、個性は神様が愛で創造されたとおっしゃるので、人の評価を気にしすぎる必要はないと思えるようになり、そのストレスが軽減されました。

人と比べることもだんだん少なくなってきました。

 

愛されていない、愛を感じられないと思っていたところから、愛されていると感じるようになりました。

神様は既に私を、私達を愛してくださって様々に働きかけてくださっていることを知るようになってから、自分が愛されているんだと気づくようになりました。

御言葉で神様の愛が何かということを知るようになってから、

家族や周りの人を通しての愛も感じられるようになりました。

 

自分も愛されている存在だと思えるようになってから、消えたいとは思わなくなりました。

自分も存在していていいんだと思えるようになったし、

むしろ、消えたいと思っていたことが私を愛してくださっている存在の心を痛めていることだと思いました。

それから死にたいと思うことはなくなり、生きていたいと思うようになりました。

 

人間不信のようになっていたのが、信じられる心が戻ってきました。

人を信じられないようになっていたというのは、つまり、人を良く思って裏切られることが怖かったことだったようです。それ以上傷ついては、立ち直れる自身がなく、無意識に防衛反応をみせていたようでした。

しかし、神様が愛してくださっているとわかってから、不思議と人も信じる心が戻ってきました。

 

悪いことは今でもふと思い出されますが、その時に神様を呼ぶようになりました。

苦しい時に感謝するようになりました。

(画像:摂理の猫カフェよりhttp://providence-blue.com/

 

このように、摂理に来て御言葉を聞いてから考えが変わり、行いが変わったことが多くあります。

そのようにして私は心の病を癒してもらっているし、もっといい考えを持てるようになりました。

消えたいと思っていた私が生きていたいと思えるようになった奇跡が本当にすごいと思うのです。

 

<神様の絶対法>は「道」だ。「真理」だ。「命」だ。

簡単で、軽い。

(チョンミョンソク牧師の御言葉より)

 

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