台湾攝理(摂理) テレビで流れた映像ー新時代が咲き誇る

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涙腺崩壊必須の動画!
私は、めちゃくちゃ泣きました。

台湾のテレビで流れた、摂理の映像をご紹介します!

台湾摂理のメンバーがどのように信仰生活を送っているのか、摂理に出会った過程はどのようなものだったか?
それが記されています。

 

目次

どのようにして栄誉ある舞台に上がり、全国優秀電気エンジニアになったのか


私は小さい頃から台南の下の村で暮らしていました。
その村は特に高級な村というわけでもありませんでした。
私の同級生の中でも、約10人中5人は喧嘩して騒ぐような人でしたし、大部分の人は職業学校や専門学校に通い、
そうでなければ軍人学校に通っていました。
村全体でも高校に進学したのは私一人だけでした。
そのような環境から出てきたので、私にとって夢とは実際は非常に小さいものでした。

かつて何も持っていなかった貧しい少年が主の愛によって、21歳で人々が羨む経営コンサルタントの職を得ました。
夢を叶える道中での神様との偶然の出会い。


私には小さい頃からの夢があります。それは、大企業の最高経営責任者になることです。
しかし育ったバックグラウンドにより、私は非常に現実的な人間になりました。

またいつも、利益を優先しました。
ずっと物質を追い求めることが私の唯一の目標でした。
大学時代の私はとても熱心に、そして積極的にありとあらゆる機会を奪い取りました。
商学部が開催する講演会には、大小問わず参加し、講演の中から多くのことを確実に学び取りました。
しかし成功する方法は全く見つかりません。
少しずつ、私は自分自身の人生の道を探し始め、夢について迷うようになりました。

 

台湾民主化運動に参加、その後の神様との出会い


私は生まれて間もない頃にキリスト教の洗礼を受けました。
そして私が小学校4年の時に父が脳卒中で倒れ、それからは家庭の収入も少なくなり
人生をとても辛く思っていました。
私はこの山奥の集落で育ちました。
政治大学は台北でもかなり郊外にある学校で、特に20年ほど前はとても寂しいところでした。

しかし私はかえってそれが好きで、政治大学に入り政治学を希望しました。
ちょうど私が入学する年、台湾全土で民主化運動、街道運動が活発になり、
例えばよくいう520農民運動だったり、原住民の権利の為の演説が殆どがこの時期にありました。
それで私も大学時代にこれらの原住民の街道運動に参加していました。

 

この動画は、本当に感動します。
ぜひ一度、見てください。涙なしでは見れません。

続きはぜひ動画でご覧ください!

人を造る達人·CGMキリスト教福音宣教教会の総会長牧師-鄭明析(チョン・ミョンソク)
彼がどのようにして御言葉によって、私達のような普通の人々を成功へと育て導いているのか見てみましょう。

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