摂理のバイブルスタディ― 「ペテロと魚」

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<マタイ 4:19>
イエスは彼らに言われた
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」
イエスキリストの一番弟子と呼ばれ
その生涯は波乱に満ちていた。
福音を述べ伝え、時には3000人を力強い御言葉で一気に導いた。
皇帝ネロの迫害下の中で
最後は逆さ十字につけられて殉教する。
初代ローマ教皇となり、
日本はおろか、全世界にその名前がついた教会がある。
その名はペテロ。
命が尽きる最後までChristを愛した人。
摂理のバイブルスタディでおそらく最初のほうに聞くであろう
「ペテロと魚」の御言葉。
この御言葉の中では、必ずイエス様とペテロの出会いの場面が出てくる。
ペテロはイエス様に出会ったとき、一体誰なのかすら分からなかった。
イエス様に
「船を貸してくれ」
と言われて、大事な商売道具、生活の糧である船を感動があって貸した。

Christ calling Peter and Andrew. Duccio 14th Century
彼は最初はイエス様が誰なのかということすら知らなかったが
普段から人を他人を軽んじたりすることなく、尊重する
彼の心によって運命が左右された。
ペテロがこのとき、もしイエス様を軽んじていたら
今のペテロはいなかったはずだ。
神様との出会いは一瞬。
誰を通して働くか分からない。
普段からペテロが人を疑い、悪く言う人であれば
イエス様のことも疑ってかかったはずだ。
でもペテロはそうではなかった。
決定的な出会いを、自分のものとしたのだ。
人生で運命的な出会い、決定的な出会い、自分の人生を全て180度変えてしまうような出会いは
一体いつくるか。
それは誰も知らず、神様のみぞ知ることだが
ペテロのように普段から心が綺麗であれば
神様がチャンスを下さった時
Christに出会うチャンスを下さった時
必ず掴むことができることを、ペテロは証明した。
その後、イエス様が十字架につけられるときに
ペテロは一旦は逃げ
「私はイエスキリストの弟子ではない」
と否定した。

それでも再度、心を翻し
大伝道者となり、初代ローマ教皇となった。
最後は逆さ十字につけられて亡くなった。
世の中から見たら
「犯罪人」だ。

Crucifixion of St. Peter
その時、誰がペテロの真の価値を知っていただろうか。
知っていたのは神様だけだ。
ペテロの死後、約2000年たった現在。
今ではペテロを知らない人の方が全世界では少ない。
ペテロと魚の話はシンプルに聞けば、さっと終わってしまう話であるが
Christ、すなわち神様との出会いの話であり
摂理人に絶対欠かすことが出来ない話だ。
何故なら神様との出会いを掴み、人生が180度変わった話。
摂理のバイブルスタディで一番最初のほうに聞く話でありながら
後々の摂理人生にまで大きく影響を及ぼす。

Peter preaches in Jerusalem
摂理人になり、何年走ったとしても
「ペテロのようにChristを愛して力強く証したい」
と思う人は数限りなくいる。
私もその一人だ。

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