人が御心という名で行うとしても、心が強く立っていなければ

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あることをする時、神様が与えたからといってそのことがすべてうまくできるのではありません。人が神様からのメッセージを受けるときもそうです。根気強い意志があるからです。

すべてのことがそうです。

あるいいことをするとしても困難があり、反対されることもあれば、困難なことを味わう時もあります。人が御心という名で行うとしても、心が強く立っていなければ、結局、諦めるようになります。だから意志が強くないといけないのです。

この世でもっとも大事なものが自由意志です。
自分の「意志」で山も越え、
海も渡り、歴史も成し、神とも通じます。

願って行なっていないことは長続きできません。
世の中からありとあらゆる悪口を言われ、
患難の波風が押し寄せることもあります。
「それでも私は絶対に行く」という意志がなければ、
結局、意志がなくて、世の海に流されてしまいます。

願っても、望んでも、意志がなければ
最も重要なことを行うことも、守ることもできません。

意志は三位が人間に許諾したもので、
地上の歴史を左右するものです。

ノアは10年間、山の頂上に船を造りましたが
彼を見たすべての人たちが彼に対して
気が狂ったと言い、間抜けな人だと言って嘲笑(あざわら)い
共にしようとしませんでした。
それにも関わらず、ノアは諦めなかったし、
やろうとしていることから自ら引き下がることはしませんでした。
「意志」があったからです。
やろうと決めたことを何があっても成そうとする心は
人間にだけ与えた神様の祝福であり、
最後までやり遂げるようにさせる力です。

倒れても再び立ち上がることができ、
岩が崩れても、もう一度、立て直すことができ、
この世の皆が反対しても、結局、歴史を成し遂げたのは
主の意志であり、確信でした。

人の意志は山を動かし、人生を変化させ
祝福にあずからせ、災いをも受けるようにさせます。

人が願ってこそできるし、
人が望んでこそ、続けて御働きが起きるのです。

神に委ねてこそ、人間の意志が揺るがなくなります。

誰かに背中を押されて走る人がいるのか。
長くもちません。
意志が足りない人には意志を植えてあげて、
自ら願う力、望む力を育ててあげなければいけません。

意志は、結局は成すようにする力です。

意志がなければ諦めます。
意志がなければ、皆ができると確信していても
自分はできないと言って諦めます。

意志でできないことはありません。
意志で病も治し、人生も変え、作品も残し、お金持ちにもなり、
引き上げも成し、永遠な御心も成し、主を証することもします。

意志がなければ、生(せい)が退屈で平凡です。

やろうとする力がなければ、何も残せません。

人に意志があってこそ
神も人を頼りにし、期待します。

御心があっても人間の意志がなければ
その御心はこの地で成せません。

主は地上で一番強い意志を持っています。

実践の御言葉を伝えてあげても
意志がないから実践しません。

祈りなさいと言っても、
祈って祝福を受けた経緯を話してあげても、
意志がないから祈りません。

材料を与えても料理をしないから
いつもおなかがすいていると言います。

意志は人間の選択であり、
その選択によって善の道も、悪の道も歩むようになるのです。

やると決心さえすれば
一朝にして山を移す実践をし、
できないと思うと
一朝にして自分の考えと精神と心を殺してしまいます。

人は考えで生き、心で生きるが、
御心は意志によって生きます。

どれぐらい堅固な意志なのかによって
大きなことを成すのか、小さなことを成すのかが左右されます。

意志がなければ小さなことも成せません。

御言葉がよくても、行おうとする意志がなければ
その御言葉はあなたのものではありません。

「できるだろうか、できないだろうか」を考えないでください。
人がすべきことなら、
心を固く決めて「やらなければならない」と思って
絶えずあなた自身に話しかけなさい。
そのようにしてこそ
あなたが願うとおりにあなたを動かすことができます。
それが意志のとおりに、考えのとおりに、あなたを動かす生です。

自ら強く考えながら導かなければ
小さな考えと心が人生を導くようになり、
そのことによって方向をしっかり捉えられなくなります。
どのような意志を持つかによって、人生の運命が左右されます。

意志を持つ人生になりましょう。

2017年3月1日 摂理の御言葉より

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