摂理はカルトじゃなくてア・ラ・カルト(´∀`)

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「摂理はカルトなのか?」

 

いやー。

 

カルトとは日本人が一般的に思う
「なんだか危ない洗脳集団」
のことを指すのだと思いますが
摂理はそれではありません。

 

前にも前の前にも書いたんですがね。
<誰が>洗脳するのか、<誰が>カルト的行為をするのか。
私は嫌ですねえ。。。
地獄に行っちゃうじゃないですか・・・(-ω-)

 

ただ一つ!
「摂理はア・ラ・カルトです」
とは言えます。
そもそも、ア・ラ・カルトという意味はなんでしょうか。

ア‐ラ‐カルト【(フランス) la carte】
《献立表によって、の意》食堂などで、客が自由に選んで注文できる一品料理。「―メニュー」
byデジタル大辞泉

 

そうなんです。
ポイントは「自由に選んで」というところにあります。

 

そもそも、「自由に選ぶ」ことが出来るくらいになるには
それだけ選択肢がないと厳しいですよね。

 

だれが3つくらいの料理を目の前にして
「はい、ア・ラ・カルトです」
なんて言えるでしょうか(-ω-)

 

せめて、食べ放題のメニューなみにあって初めて
「ア・ラ・カルト」と言えますよね。

 

摂理の一番の売りは「御言葉」です。
豊富すぎるくらい?!豊富にあります。
正直、全ての御言葉を網羅できなくらいの量です。

 

だから「摂理はカルトじゃなくて、ア・ラ・カルト」です。

 

でも摂理は逆に選ぶ余地がありすぎて、
「どうしましょう、御子主よー」
と祈ることもしばしば。

 

夢も諦める必要などなく、
「どうしましょう、主よ、主が決めてくださいー」
と言ってしまうくらい、選択肢が豊富です。

 

最初からカルト的に、全てが決まっていたら
「主よ、決めてください」
このような言葉は出てこないでしょう。

 

最初から決められてるんですから。
あえて祈る必要がなくなります。

 

摂理に来て、私はカルト的人生を歩まずに済みました。
選択肢があまりにも広くなり、生きているこの世だけではなく
あの世まで考えて生きることができるようになりました。

 

そして、自分の幸せは勿論、人々の幸せ
何より神様、聖霊様、御子主の幸せまで考えられるようになりました。

 

私が摂理に出会わなかったら、
もしかしたらカルト的人生を歩んでいたのかもしれません。
つまり、一つだけを熱狂的に生きることになっていたのかもしれません。

 

「神様の働きを知りたかったらNEWSを見てください(´∀`)」
「新聞を見てください」
「テレビを見てください」
という話も摂理ではあります。
「カルト脳」にならずに済みます(。´д`。)

 

NEWSを見ても
「ああこれが神様の働きかな」「違うかな」とか
いろいろ考えるようになりました。

 

摂理人以外の人を通しても、神様の働きをたくさん感じます。
私の両親は摂理人ではありませんが
私をたくさん助けてくれます。

 

私が仕事で接してきた方々、お客様を通して
神様が指導してくださり、育ててくださることもたくさんあります。

 

摂理に来る前は、神様が人を通して働くなどということを分かってなかったし
単に人がよくしてくれたという<だけ>を自分は思っていました。
このあたりも、私が<カルト的社会人>にならずに済んだ所以です。

 

摂理の人を通してだけ神様が働くという御言葉を聞いていたら
私は摂理の人の言うことしか聞かなかったでしょう。
学校も行かなくなり、会社も辞めていたことでしょう。
でも神様はそういう働き方はしません。

 

一定の誰かだけを通して働くということはしません。

 

摂理で教えてもらった神様はカルトじゃないです。
神様はア・ラ・カルトです。

 

もし摂理がカルトであるならば、摂理人は決まりきった生き方しかできないし
一つの職業に偏ったり、一つの大学に偏ったり、一つの国に偏ったり
そのようになっていたことでしょう。

 

膨大に良いものを与えてくださり
「自由意思を与えたから、自分で選んで生きなさい」
とおっしゃる神様です。

 

「摂理はア・ラ・カルト」ということは延々とブログが書けそうですww
また書きますね(´∀`)

投稿者プロフィール

RIO
東京都出身。高校生の終わりごろ、摂理教会に来てから早21年。教会内のあらゆる役割を経験。
現在は、つくば市在住。教育関連事業で邁進中。
好きなものは猫。
いわゆるお一人様(^^)/ 独身貴族。
ですが、主と共に生きるのでお二人様。

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