時間が少な過ぎると言って、やろうかどうかためらうな

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ある仕事は、時間が2分しか残っていなくて駄目だと思って、「今ではなく後でやろう」と言った。そうして結局できずに、一つの歳月が過ぎた。
2分でも、速くやったら4分のように使い、10分のように使うようになる。<知恵>は「判断」だ。

時間が少な過ぎると言って、やろうかどうかためらうな。そうしていて時間ばかりもっと過ぎるから、精神一到してやりなさい。2分でも走れば300メートルを行く。歩いて行こうとばかり思って計算するから、時間が少な過ぎると言う。

過去の生(せい)を見たら、ある仕事は1分あればできることなのに「時間が30分は必要だ。1分しかない」と言って次に後回しにして、ほとんどやらなかった。
そうしてそのあとの時間が再び来る時まで一つの歳月が経つこともあった。

手紙も20分あれば1枚書く。ところが20分もないから書かなかった。そうして1分ででも急いで「LINEのような手紙」を書いたらできた。核的に短く伝達しても、長く伝達しても「伝達」は同じだ。
1分が短いと言ってずっとその1分を後回しにしていたら、それが習慣になって、数か月、数年過ぎるようになる。そうしていて一つの歳月が過ぎる。
信仰の仕事もそうだ。祈り、讃美、三位との対話、自己管理、命の管理、伝道、悔い改め、講義もそうだ。
1時間、2時間なければやらないのか。1分、2分、5分、10分あるだけでも、やってみなさい。やる分、できる。
<知恵>は「判断」だ。

-摂理 キリスト教福音宣教会 御言葉より

投稿者プロフィール

RIO
東京都出身。高校生の終わりごろ、摂理教会に来てから早21年。教会内のあらゆる役割を経験。
現在は、つくば市在住。教育関連事業で邁進中。
好きなものは猫。

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