鄭明析牧師 Profile

鄭明析(チョン・ミョンソク)

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誕生
鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師は、韓国が日本の統治から開放された1945年、その年の3月16日に忠清南道錦山郡珍山面石幕里タルバッコル(現、月明洞)で、6男1女の三男として誕生。

生家は極限の貧困状態。約150年経った平屋は、外壁が土で覆われ、屋根は藁葺き。食料の調達は困難を極めた。彼が5歳の時に朝鮮戦争が勃発(1950年)。1953年に休戦。戦後の韓国は貧困と飢餓はより一層深刻に。彼の実家も何日も飢える日々。全国的な食糧難の中、チンサン小学校に入学。

彼は「こんな先の見えない人生なら生きている意味が無いのではないか。どうしてこんなに貧富の差があるのだろう。神様はどうして人間を創造したのだろうか。貧しい人を見て、神様は心が痛まないのだろうか」と疑問に思っては、まだ知らない神様を求め、もがき苦しむ日が続いた。

彼が住む山奥に小さな教会が建てられることになり、家ごとに聖書が配られることになった。切実に神様を求める中、聖書を開いてみると、「神様から人間に対するメッセージ」があまりにも多く書かれていることに、彼は大きな衝撃を受け、感動のあまり激しく涙を流した。彼は「聖書に書いてある通りに生きるんだ!貧困からも抜け出せるに違いない!そして神様に会えるかもしれない!」と強く決意し、大人でも読むのが容易ではない聖書を、毎日読み始めた。そうして、9歳の時、本格的に教会に通い始めるようになった。

苦悩の中にいても、聖書の言葉、神様の言葉を、とにかく少しでも実践しようと、彼は幼いながらも努力する。

小学校を卒業すると、彼は家の農業を手伝うため、中学校進学を断念。多くの農作業に疲労は毎日極限状態にまで達した。農作業の時はいつも聖書を持ち歩き、仕事の合間にも事あるごとに木の下で祈った。

またこの頃、生後間もなく患った大病の後遺症から「どもり(言葉が円滑に話せない疾病)」にも悩まされ、コミュニケーションがうまく取れず、村の人々や家族からも軽んじられていた。

彼は悪化していく状況を憂い、環境を激しく呪い、何度も神様に、怒りをぶつけるように、涙ながらに祈った。家の農業を手伝いながらも、夜になると洞窟の中で聖書を読み、祈りを捧げ、時には朝になっても家に戻らず一日中洞窟にこもって祈り続け、また時には近隣のテドゥン山に登り、マイナス15度以下になる冬でも、雪の中で何時間も祈り続けた。時には聖書ではなく他の本も読んだが答えは得られなかった。もがきと苦しみの末、イエス様から人生を学びたいと思うようになった。

彼の祈りは徐々に変わっていった。
「自分は貧しい環境の中にいるみすぼらしい存在だったが、人生のむなしさを知り、神様を知り、その愛を知った。しかし、そうなると、神様を知らないまま生きるあの多くの人々が、あまりにもかわいそうだ」
彼はいつしか自分自身のための祈りを超えて、個人・家庭・民族・世界のために、切実に祈るようになっていた。

神様・イエス様の愛を悟った彼は、時間があれば、とにかくその愛を伝えるために町へ出かけて、老若男女問わずのべ伝え、なけなしのお金が手に入ると、自分の好きなものを買うことを我慢し、教会へ献金することもあった。聖書を続けて学び、学んだことを一つ一つ実践して生きた。
「神様を愛することは、神様が望むことをして生きることだ」。

1966年、本格的にベトナム戦争へと突入。韓国もまた、ベトナム戦争への参加を決定。
そして鄭明析牧師(当時21歳)もベトナム戦争への派遣が決定した。

以後、追記中

経歴

  1. 1904年 李氏朝鮮第26代国王高宗の側近であった鄭明析氏の祖父が、後に鄭明析氏の故郷となる石幕里へ移転
  2. 1945年2月(旧暦) 韓国石幕里にて出生
  3. 1953年 教会に通い始める
  4. 1958年 小学校卒業と同時に家業を手伝う 修道生活にも励む
  5. 1967年 21歳 軍に入隊
  6. 1966年8月 ベトナム戦争 第一次派遣
  7. 1967年9月 帰国
  8. 1967年10月13日 ベトナム陸軍司令官と韓国軍陸軍参謀総長 蔡命新(チェ・ミョンシン)将軍から戦功表彰状を授与される
  9. 1967年10月 ベトナム戦争 第二次派遣
  10. 1969年9月 帰国後、花郎勲章と仁憲勲章を授与される 戦争で得た資金をソンマン里のプロテスタント教会建築費用として献金(今もソンマン里教会は実在)
  11. 1973年 26歳 本格的な伝道・修道生活を始める
  12. 1978年6月1日 33歳 ソウルへ上京
  13. 1981年 MS宣教会(現キリスト教福音宣教会)を設立
  14. 1983年 ウェズリー神学校 卒業
  15. 1989年 故郷 月明洞の開発を始める
  16. 1992年5月 韓国100都市に教会が設立
  17. 1991年 初の海外訪問 日本、台湾、アメリカへ
  18. 1994年 核危機のため「救国のための祈祷大会」を開催
  19. 1999年 海外宣教の為に海外へ キリスト教福音宣教会(CGM)創立 国際文化芸術平和協会(GACP)創立
  20. 2001年 一時帰国 韓国検察任意事情聴取 結果は嫌疑なし 再出国へ
  21. 2002年 GACPサッカー大会 大田ワールドカップスタジアムにて開催
  22. 2007年 中国の公安当局から身柄を拘束されて取り調べを受ける 捜査が進むにつれて、鞍山市中心病院で告訴した女性の一人が「正常、暴行された形跡なし」と診断される。また事件現場近くにあった防犯カメラで、ほぼ同時刻に同女性2人が笑顔で歩いていたことが判明するなど、反対者側の捏造工作が明らかになる。
  23. 2008年2月20日 中国の公安当局は婦女暴行の事実を認定せず、嫌疑はないと潔白が証明され、韓国に送還される
  24. 2009年 韓国にて懲役10年の高等法院判決が確定 収監
  25. 2009年から2018年の出所まで 欠かさずに日曜礼拝・水曜礼拝・明け方の御言葉などを世界の牧会者に送り続ける。(牧会者は各教会にて伝える)祈りと礼儀を欠かさないその姿は、看守の目にもとまる。
  26. 2011年 裁判について再検証すべきとの動きが韓国メディアに起こり、相次ぐ謝罪と訂正報道
  27. 2018年2月 刑期満了で出所
  28. 2018年から現在 韓国内にて宣教、各種スポーツや文化活動、各宗教(仏教、カトリック、プロテスタントなど)などとも広く対話、約600曲を作詞、インターネット放送局設立

受賞・出版歴

  1. 1989年12月 「霊感の詩」1巻出版
  2. 1990年6月 「天の言葉 私の言葉」1巻出版
  3. 1995年11月 月刊<文芸思潮>新人賞、詩人登壇
  4. 1996年5月 「霊感の詩」2巻出版
  5. 2001年 国際代替医療大学医療研究センター(The Open International University for Complementary Medicines:OIUCMED、http://www.oiucmed.net/)から博士号を授与される 現代医学では治療困難とされる病気(精神疾患等を含む)を約25年間癒してきた功績が認められたため
  6. 2004年7月 「天の言葉 私の言葉」2,3,4巻出版
  7. 2005年3月 「救いの御言葉」「天の言葉 私の言葉」5,6巻出版
  8. 2011年1月 アルゼンチン・アートフェア2011UWA Perth International Arts Festival に絵「運命」が代表作として選定
  9. 2011年3月 韓国100年史詩人に公式登載
  10. 2013年7月 「霊感の詩」3巻、「詩の女」「詩で語る」出版
  11. 2013年 高麗大学放送とソウル教育放送が共催で毎年開催している「 最も美しい人」にノミネートされ、ソウル文学賞を受賞 霊感を受けて執筆した詩集が、韓国文学で低迷していた詩というジャンルをよみがえらせるものとして高い評価を受け、ソウル文学賞を受賞。同ノミネート者には他に、元国連事務総長の潘基文氏や女優の崔志宇(チェ・ジウ) 氏ら。
  12. 2017年7月22日 詩集「幸せは来る」韓国で出版
  13. 2018年 ベトナム戦争「愛と平和だ」全4巻出版
  14. 2009年から2018年の収監中に 箴言集や説教集など63冊の本を出版
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