摂理の男女交際と結婚、その生活

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

時がくれば人はいつしか結婚し、子をなし、次の世代へ歴史をつないでいく。

今までの歴史がそうであったように、摂理においても、時が来ればみな結婚していく。

しかし一方で、摂理のメンバーはみな知っていることだが、摂理は男女交際よりも自分の成長を優先している。

では、いつそれがある意味真逆の状態である結婚ということにつながっていくのか、はたまたその生活はどうなっているのか、僭越ながら私のケースで紹介していきたい。

冒頭でも述べたが、人は必ずいつかは結婚する。そうしなければ子をなすことはできないし、歴史がそこで途絶えてしまうからだ。

私は企業の人事担当者を相手にビジネスを行う仕事に関わっているが、企業を悩ませている問題の一つに、従業員の子育て支援の体制をどのようにつくるのか、という問題がある。

以前は女性はいつかは結婚退職するものだという考えがあったから、出産後にいざ現場復帰をしようとしても、本当の意味で復帰することは、周りの認識や受入体制などの面から、事実上難しい状態だった。だから、一度出産で休職ということになれば、たとえ復職したとしても再び出世の道を目指して働くことはあきらめるのが常だったのだ。

しかし時がうつり、外資企業が日本に多く進出するようになって、社会の認識も変わりつつあり、少しずつ女性が社会でも当たり前に活躍できるようにという流れがようやく出てくるようになってきた。一方で、結婚しないで仕事をより専念して行う人々も増えてくるようになってきている。

各人が多様な仕事のスタイルを持つことができる環境というのは大事だし、それができる時代になってきていることは喜ばしいことだと思うが、その結果、世界中で晩婚化・少子高齢化という問題が生じるようになってしまった。

日本は先進国の中では特にこの問題が顕著で、世界で見れば人口増加という傾向があるのに、既に人口減少に転じるようになっているから、危機的状況といえるだろう。

人がよりよく栄え、発展して生きるために時代は進化していくべきなのに、人々が働く環境だけは幸い整ってきたが、人を増やすという観点においては、明らかによくない方向へ進んでいっている。

人口動態はすぐに解決できる問題ではないから、これはものすごく大きな問題だ。

さて、それでは摂理はどうなのだろうか。

男女交際より先に自らが成長し、神様についてしっかり学ぶことを先にすることを志す摂理においても、

創世記1:22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。

とあるように、全ての生き物はその種を発展させていくことが神様が望まれているし、そうであってこそ、歴史は途絶えることなく、発展していく。これが神様の願いでもあり、人々の使命であると教えている。

男女交際の禁止と、結婚の許諾、一見矛盾するように思えるこの二つのことは、結婚することの意義を正しくわかるようになったとき、すなわち種としての子をなすという意味がわかると、理解することができる

私も摂理に出会うまでは、世の中の人々と同じように、異性にも興味はあったし、そういう生活をしていたこともあった。

知らなかったこととはいえ、そうした状況があることは悔い改めるべきことだし、そういう状態になく摂理に導かれた人は本当に幸せだといえるだろう。

しかし、摂理で非常に大事にしているのは、「優先順位」だ

神様は人を愛する対象として作られたから、その土台となる宇宙、星々、地球を長い期間をかけて準備され、人間が愛する対象として進化していくまで、守り続けてこられた。

だから、人間が神様を愛し、天国でともに暮らすことができるようになることを神様は望まれている。

私たちがこのことをはっきりと悟ることが、人間として生きる究極の目的であり、生きる上でもっとも優先すべきことであろう。その上で子をなしたとき、人はより神様から祝福されて生きるだろうし、人として栄え、発展していくことができるからだ。

だから、それがわかっていないのに男女交際をしたら、結局のところ、自分優先、恋愛優先で、神様のことは二の次となっていく。そうなると、優先順位が間違った選択をしていることになるから、それがひずみとなって様々な問題を引き起こしていく。

社会で問題となっている晩婚化・少子高齢化も、この優先順位の認識のずれという観点で見たときに、その問題の本質が見えてくる部分が多いことがわかるだろう。

つまり、優先順位をはっきりわかったうえで行うことが大事だということだ。

本来人間がなすべきことは、神様を愛して生き、種として増えていくことだが、その優先順位が仕事や自分の生活を楽しむ方向に偏ってしまったとき、それが結婚というものの価値性や意義を失わせてしまい、晩婚化を生じさせ、少子高齢化へとつながっていく。

だから摂理では、神様の愛が正しく悟ることができる段階になるまでは、まずは神様を知ることを第一優先にすることを教えている。
そのように過ごしていくうちに時が来て、結婚したとしても神様を愛して生活するという観点がぶれないような状態になったときに、結婚という道が開かれる。

だから、いつかは結婚しようと意識をしながら信仰生活をすることは正しい考えとはいえないし、異性への興味がぬぐいされないうちは、結婚をしたとしても神様から離れてしまうだろうから、それは神様からは許諾されないということだ。

だから、男女交際より先に神様を優先にすることと、時が来たときに結婚することの二つは互いに両立すべき、天の知恵であり、天の大きな愛ゆえだとわかるだろう。

摂理の人達が結婚するということは、しかるべき時がきて、正しく成長したときに、次の段階へと進むという意味に他ならない。

だから、みな結婚の道が目前になってきたら、神様と共に一生かけて生きることの意義をあらためて考えるし、そう決心がつけば、その道を歩むようになっていく。

とはいえ、全ての人が結婚するわけではない。

大事なのは、種として存続し、栄えていくことだから、

・肉の子供を産む道を選ぶ人
・霊の子供を産む道を選ぶ人

に実際は分かれていく。

肉の子供を産む道とは、いわゆる世の中でいうところの男女間の結婚をして、愛をなし、子を産むことを指し、霊の子供を産む道とは、神様の道へと人々を導くことを指す。

だから、肉の子供を産みながら霊の子供を産み続けることもするだろうし、霊の子供を専念して産み続けようとする人もいる。

当然、大多数は肉の子供も霊の子供も産むという選択をしていく。

今回は摂理の男女交際と結婚について述べたが、次回はそのようにして結ばれた人々について紹介しようと思う。

この世に生まれた一人一人は神様が本当に愛してやまない存在だ。

さらに神様の思いを受けて、神様を愛し、信じて生きる道を歩むようになった一人一人は神様からすれば本当にかわいくて仕方がないだろう。

同じように、摂理の道にあなた方一人一人を導いてきた人達も同じ思いだということだ。

全ての人が正しく愛をわかって生きられるように切に願う。

 

では、そのようにして結ばれた二人はその後どういう生活を成していくのだろうか。
今回はその様子を紹介していこうと思う。

私含め、まわりにはそのようにして家庭を成すようになった兄弟姉妹達がいるが、その様子は多種多様だ。

お互い似たもの同士のところもあれば、全く真逆の二人だったりもするし、ある秀でた一面は非常に共通していてそれ以外の部分は違っていたりと、一つとして同じ家庭がない。

だから、それぞれの家庭の様子を見ると、まさにイザヤ書11章のような、動物天国を成しているのだと感じてならない。

(意訳:エッサイの株から出た者(=キリスト)が来ると、多様な動物(=多様な個性を持つ人間ひとりひとり)が一つとなって共に生活をするような状態になるというイザヤ書の預言)

イザヤ
11:1 エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、11:2 その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。11:3 彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをなさず、11:4 正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの柔和な者のために定めをなし、その口のむちをもって国を撃ち、そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。11:5 正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。11:6 おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、11:7 雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、11:8 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。11:9 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。

つまり、どんな形の家庭であれ、それぞれの家庭には、互いのパートナー同士が一つとなって神様が構想した御旨(計画)を成すという目的があるということだ。

各家庭が御言葉を中心にして理想的な生を完成させることができたならば、地上においても天国のような生活をすることができるし、その結果として、霊においても最上の天国で聖三位と共に暮らすことができるのだということを示している。

神様、聖霊様、御子を愛する生活をする中で、人間自身も成長を果たし、時が来たら子を成していくということ。

これこそが、人間に与えられた大きな創造目的の一つだ。

結婚をしたら、肉体が生きているうちは、そのパートナーとはずっと共に暮らすわけだから、家庭に入る摂理のメンバー達は、それぞれがそうした聖三位の思いを組んで、それを成し遂げようと心に刻み込んでいるはずだ。

私の家庭のケースで僭越ながら話してみようと思う。

夫である私はいわゆる理系型人間で、何事も計画的に行いたいし、実質的なものを求める傾向にある。行う前に必ず考えて検証することが癖になっているようなタイプだ。同時に新しいものをどんどん取り入れていきたいから、情報収集は常に怠らない。海外旅行をするならば、入念に計画は立てつつも、新たな刺激を求めて貪欲に動き回ることも少なくない(学生時代はバックパッカーとして世界を放浪していた)。
食べ物の好みは辛いものが好きで、料理をするとしたら、基本的に同じものは二度と作りたくはない。

一方、パートナーである妻は文系型人間で、全てのことを感覚的に考える。だから、何か感動があれば考えるよりも先に体が動いてしまうようなタイプだ。
また、農家の娘さんだから、都会よりも自然が好きで、超がつくほどの健康志向。考えは保守的な部分が強い。先ほどの旅行で言えば、どちらかというと旅行会社のツアーにゆだねるタイプ。自分で調べるというよりは流れに乗っていきたい傾向がある。
食べ物の好みで言えば、辛いものはまったく食べられず、料理は得意なものを何度でもつくりたい傾向があるようだ。

現在、結婚して3年目を迎えているが、それでもまだお互いわからないところも多い。

私たちが摂理の人でなかったら、あまりにも違いが多すぎるから、そもそも互いに相手を選ばなかったかもしれないし、ともにしたとしても、やっていくことは困難だったかもしれない。

だから、ともに生活を始める時もこういう違いがあった。

<新生活を始める際の考え方(一例)>

・私
家を選ぶにあたっては、コストパフォーマンスを重視。少々古くても、機能面で優れているものを求めていく。
教会・職場などのアクセスの容易さを重用視
必要最低限の家財道具を準備して、生活をしながら必要なもののみをそろえていく
ライフイベントの変化にも対応できるように、向こう40年間の家計収支がシミュレーションできるように、キャッシュフロー表を作成して共有
荷物は必要最小限。不要なものは全て捨て、必要になったら必要な分だけそろえていく

・妻
家を選ぶにあたっては、きれいさ・新しさを重視
教会・職場などのアクセスの容易さを重用視
持てる家財道具は事前に全てそろえておきたい。機能面というよりは色で統一・メーカーで統一などを重視
収支計画は基本的になし
利用頻度に関係なく、使う可能性がある荷物は持てるものをすべて持参

つまり、
「教会・職場などのアクセスの容易さを重用視」
をのぞいてはほぼ真逆。共通点は数えるほどもない。

結婚式、新婚旅行、などなど、いろんなライフイベントも似たような状況で、あまりない方がいいだろうが、互いの行き違いでちょっとしたけんかみたいなことも起きたし、今でもすりあわせできていないことも多々ある。

しかし、摂理の中で家庭を成すという選択をしたことで、よかったと思う部分も多くある。それが自分のさらなる成長にとって大事な部分だったりするし、今までの自分では完全に向き合えていないことだったりするから、人間の考えではとうてい及ばない、神様の計画の巧妙さ、奥深さを感じざるを得ない

互いが異なるがゆえに、自分だけでは解決できていなかった部分の改善に取り組むことができるようになるし、助け合うということで相手を理解することが毎日の生活の中でできるようになったことだ。

私が非常に体調が悪くて苦しんでいる時、献身的に妻が介抱してくれたりするときに大きな感謝の念を感じるし、それ以外の生活の部分でも体を気遣ってもらっていることは口にこそあまり出さないが、よくわかる。

また、私のやりたいことについては基本的にはそのまま受け入れてくれたりしてくれるところも、非常にありがたく感じている。

私は先もあげた通り、事前に考える癖があるから、感情を表現するのは苦手な方なのだが、妻は裏表のない子供のように感情をそのまま表に出す人なので、ちょっとしたことで喜びを表現したりする様を見て、学ぶこともある。

など、大変な部分もあるが、学び合うところも多かったりする。

私たちは、成長し、結婚を許諾された夫婦といっても、天の基準からみれば直すべきところはきっと多いだろうし、個人単位、家庭単位と乗り越えるべき壁はまだまだ多いと感じている。

その点において、聖三位と主には申し訳ないが、それでも、互いが互いを完全にしていくために、このような形で家庭をなさせていただいたことについては、感謝するしかない

※全ての家庭がそのようだというわけではなく、一緒になったときから、理想的な家庭の生を歩んでいる家庭も多い。誤解はないと思うが、念のため。

また、私たち夫婦の間には、聖三位と私たちの指導者である鄭明析先生がいて、いつも御言葉をもって教え、管理してくださっている。

だから、御言葉を実践しながら着いていけば必ずもっと理想的な人生を歩むことができるという希望を強く持って私たちは生きることができるのだ。そしてその指針は毎日御言葉という形で私たちに送られてくる。

これほど大きな祝福はどこにあるだろうか。

足りないところが多い私たちでも、その部分においては堅く結ばれているし、だからこそ、肉体の生涯の間、パートナーとして互いに選ぶ決心をして、生活している。

今、摂理では霊の引き上げに向かってみなが努め、変化しようとしている最中だが、家庭をなし、パートナーがいることで、直すべき部分があらわになるから、こんなに有利なことはないと思う。

摂理の男女交際と結婚、その生活について、少しは想像していただけるようになっただろうか。

また機会があれば、その後私たちがどのようになっていくのか紹介できればと思う。

全ての人々がこの摂理の御言葉で完全に成長し、地上でも天国でも理想的な生を送る毎日を過ごすことができることを切に願う。

Yoshi

投稿者プロフィール

yoshi
東京在住。早稲田大学卒。
学生時代はバックパッカーとして海外に行く機会が多くあり、そこで信仰を持たない日本の方が世界で見れば特殊な国なのだと気づきました。
縁あって社会人になってから摂理に出会うようになり、楽しく過ごしています☆今は奥さんと2人で信仰生活を送っています!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事一覧

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP