[連載小説]指先に宿るは④

 この十年間、たとえ離れていても、いつも俺の心の片隅には師匠がいた。

 師匠の舞を追及しなくなり、場に溶け込むような舞を舞うようになっても、一つ一つの動作を無下にすることは出来なかった。師匠の教えを忘れ、全ての行動を雑にしようと何度も思ったが、その度に師匠がどこかで見ているような気がして、実践に移せなかった。

 中途半端な想いは、全体を調和させつつ丁寧さを備えるような舞となり、いつしか俺の持ち味とまで呼ばれるようになっていたのだ。

 だから、今のように周囲を意識することなく師匠の教えを舞に落とし込んだのは、本当に久し振りだった。どこまで師匠の流派を表現出来るか不安だったけれど、会心の出来で舞うことが出来たのは、小さいけれど日々の積み重ねがあったからだろう。

 一目見ただけで空白の十年間を見透かす師匠に、俺は益々頭が上がらなくなる。

「さて」

 枕元に置かれていた扇子を手にすると、師匠はベッドから足を下ろし始めた。

「師匠、動かないでください」

 師匠の容体を心配して、俺は師匠のそばへと近付こうとした。しかし、師匠は近付く俺に向けて、その場に留まるようにと手を広げた。

「いいんだ、坊。今、とても体の調子がいいんだ。むしろ、寝てなんていられないくらいだよ」

「……師匠」

「それに、私は坊と一緒に舞を捧げたい気分なんだ。成長した可愛い坊と一緒に舞うなんて、これほど嬉しいことはないよ」

 子供のように無邪気に言われてしまえば、もう止めることが出来なかった。

 それに、不謹慎かもしれないけれど、俺も師匠と一緒に舞いたかった。

 師匠が俺の隣に立つ。体が弱くなっているとは思えないほど洗練された立ち姿に、あの時のように心が奪われる。

 そして、師匠が扇子を構え、優雅に舞い始めた。その動きに合わせて、俺も舞う。

 一挙手一投足全てを、師匠に合わせようと神経を集中させる。しかし、一緒に舞うことで分かることは、やはり俺とは次元が違うということだ。一生かかっても、俺は師匠の域まで届かない。

 そう目の前で痛感させられているのに、以前ほど嫌な感情は芽生えなかった。

 師匠と舞うことが出来ている――、その喜びの方が勝っているからだ。

 この世のものとは到底思えないほど、静かな時間の中、師匠と俺は二人だけの空間を築き上げる。

 一生続けばいい、と願う中。

「うん。綺麗だね、坊の舞は」

 永遠のような静寂を崩したのは、師匠だった。

 憧れだった師匠にずっと言われたかった言葉を言われて、俺は流れそうになる涙を必死に留めて、舞う。

 普段厳しいことを教えるくせに、いざ耐えられなくなった弟子が涙を流すと、優しい師匠はそれ以上舞を教えることをしなくなる。俺がここで涙を流したら、この夢のような時間が終わりを告げてしまう。

 師匠と一緒に舞う内に、俺の中で一つの想いがふつふつと湧き出して来る。

「師匠、俺やっぱ……その……」

 舞の途中で話すことは、師匠の教えではご法度だったが、既に師匠が話したのだから問題はないだろう。

 湧き出た想いを素直に言葉へと転じられない俺に、師匠は優しく笑いかける。

「坊が連絡を返してくれた時から、全部分かっていたよ」

 昔から師匠は、人の感情の機微を敏感に察していた。師匠の前で隠し事は、いつだって出来ない。

「……でも、俺は師匠の期待に応えられなかった」

「確かに、過程はそうかもしれないね。だけど、坊は結局戻って来てくれた。それも色々な経験をして、ね。先ほどの舞からも、今までの坊の全てが伝わって来たよ」

「……師匠」

「何も私は、私の後継機となるようなロボットを作ろうと思って、坊や弟子たちに教えて来た訳じゃないんだ。舞を通じて人間として成長を遂げ、その人にしか出来ない表現をして欲しいだけだ。その表現が舞を通してでも、それ以外のことでも、私にとっては可愛い弟子が成長してくれることが一番嬉しいんだよ」

「……」

 それ以上は、もう何も言えなかった。「もちろん、私の伝えた舞で表現し、更に後世にも伝えてくれることが一番嬉しいけどね」とはにかみながら言うけれど、それにも答えられない。

「だからね、坊。何も心配することなく、坊のやりたいことをやっていいんだよ。――あとのことは私に任せなさい」

 嬉しそうに言ったその言葉を、師匠がどのような表情で言ったのかは、視界が滲んでいて確認することは出来なかった。終わる気配のない舞に、ずっと神経を注ぐ。

 もう言葉は要らなかった。

 ただ二人で、至高の舞を舞う。

 師匠の舞は、止まらない。その背中を、俺はずっと追い続ける。

 今はただ、夢のような時間を、心ゆくまで憧れの師匠と共に過ごすだけだった。

<――終わり>

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