[連載小説]心のアクセント②

 ***

「では、各パートの練習も終わったので、今度行なわれる合唱コンクールに向けての一斉練習を始めます。噂で聞いたこともあるかもしれないですが、音楽を選択した人は、クラスとは別に合唱をしてもらいます」

 緩み切った空気に喝を入れるように、佐鳥先生は手を叩く。音楽室の中は、やや騒然となった。

 佐鳥先生の言う通り、全校生徒を対象に行なわれる合唱コンクールが来月に行なわれる。確か先日、僕のいるクラスでも課題曲を選んで、練習のためのスケジュールも確認していたはずだ。

 つまり、佐鳥先生の話をまとめると、音楽の授業を選んでいる生徒は、合唱コンで二曲歌わなければいけない、ということだ。しかも、一年生だけの仕組みではなく、二年生や三年生になっても、選択授業で音楽を選ぶ限り変わらないようだ。

 僕は噂を耳にしたことがなかったから、純粋に驚いた。もし事前に合唱コンで二曲歌うことを知っていれば、音楽の授業を選ぶのは躊躇っていた。……だけど、他の科目は個人が目立ってしまうから、結局は音楽を選んでいただろう。

「えー、二曲もやるの?」

「すごい楽しみ! 何を歌うんですか?」

 この音楽室の中での意見も、極端に分かれていた。前者の言葉に、僕は内心で大きく頷く。

「とても良い歌ですよ。歌詞も素敵だし、メロディも情緒的なので、ここにいる皆で一つになって合唱が出来れば、聞く人の心を感動させることが出来ると思います」

「佐鳥先生、早く楽譜見せてください」

 先ほどの後者の人が、前のめりになって佐鳥先生に問いかける。佐鳥先生は満足気に、「もちろんです」と手に持っていたプリントを見せびらかした。

 が、次の瞬間。その口角が悪戯っぽく上がると、

「で、す、が」

 と、佐鳥先生は含みのあるように言った。この高校の先生の中では、一番生徒と年齢が近い佐鳥先生は、時折子供のように生徒と接する。

「何を歌うのかを知ってもらう前に、ある課題をやってもらいます」

「えー、課題? それ楽譜じゃないの?」

「違いまーす」

 佐鳥先生は軽口を交えながら、手にしていたプリントを配り始めた。前の列から送られて来たプリントを、素早く一枚抜き取ると、すぐに後ろへと回す。

 プリントに目を落とすと、「自分の強み」、「周りの強み」と二つの項目が書かれていた。

「一つの自己分析みたいなものです。自分を見つめることが苦手な人もいると思います。だけど、この作業は、きっと皆のいい糧になります。それに、合唱コンの課題曲にも活かせると思うし」

 プリントとにらめっこをしていた生徒達だったが、やがて内容を確認し終わると、隣同士に座っている人とで、「えー、これ嫌じゃない」「私、自分のこと考えたくない」「自分の強みなんて、わっかんねーけど」「俺の強み、言ってみ」「いや、知らんよ」などと、各々否定的な感想を言っていた。僕の方を見た柏木くんも、露骨に嫌そうな顔をしていた。多分、僕も似たような顔をしている。

「佐鳥先生、これ発表とかあるんですか?」

 場の空気に一閃を入れるような鋭い声で、秀が質問をぶつける。秀の目線は、まだプリントに落とされていて、真剣に課題に取り組もうとしていることが伝わって来た。

「ええ、どちらか一つを選んで発表してもらいます」

 佐鳥先生はニッコリとそう言った。秀以外の同級生は、その答えに、露骨に嫌な顔を見せた。誰だって、前に出て発表なんてしたくないのだ。

「はい、授業が終わるまであと三十分くらいだから、集中して取り掛かってねー」

 佐鳥先生が手を叩くと、皆渋々ながら課題に取り組み始めた。発表もあるからか、全員が真剣に考え込んでいた。

 僕も考える。

 僕の強み。何だろう。……ダメだ。僕の弱みなら、いくらでも埋められるんだけど、強みとなると浮かばない。自分に目を付けられないようにと、いつも周りの空気に合わせてひっそり過ごしていたから、いざ考えると自分が分からない。考えていく内に、何だか気分が悪くなる始末だ。

 早くこの時間が終わらないものかと、顔を見上げると、時計よりも先に秀と目が合った。思わず、「え」と声が漏れる。どうして前の席に座っている秀が、わざわざ後ろを振り返って僕のことを見ていたのだろう。

 しかし、秀は何か大きな反応をすることなく、再び机の上のプリントに取り掛かり始めた。

 一体、何だったのか。

 秀の行動の意味を考えながら、秀ならこの二つの項目をすぐに埋め、堂々と皆の前で発表してしまうのだろうな、とふと思った。

 思わず溜め息を吐いてしまったが、僕のか細い音は「佐鳥センセー」という溌剌とした声にかき消されてしまう。

「もうそろそろ昼休みに入るので、授業終わりにしませんか?」

 別のクラスの明るい同級生がそう言うと、音楽室の空気が変わった。ほとんどの人がプリントから顔を上げて笑う。

 ちなみに、時計の針はチャイムが鳴る十五分ほど前の位置にある。課題に取り組んでから、もう半分も経過していたのか。

「そうね。早く行かないと、購買も売り切れちゃうもんね」

 佐鳥先生がそう言うと、「さすが分かってるぅ」と、所どころで佐鳥先生を称える声が聞こえた。

「じゃあ、今日の授業は終わり。次の授業からは、本格的に合唱コンの練習をするから、みんな頑張ろうね。課題曲も楽しみにしてて」

「あれ、発表は?」

「あぁ、真剣に取り組んでもらいたくて言っただけなので、発表はありません。どう? 少しは自分自身を振り返ることが出来たかしら?」

 佐鳥先生の茶目っ気溢れる表情に、皆の口からは安堵の声が漏れ出た。

「もし今浮かばない人がいても、ゆっくり出来る場所で自分に目を向ければ、きっと自分の素敵な一面と出会って、他の人も探したくなるはずだわ。それじゃあ、今日は解散で」

 佐鳥先生の声と同時、音楽室の中で椅子を引く音が何度も何度も響いた。そして、同級生達は、隣に座っていた友達同士で話し合う。ふぅ、と僕は一息吐いてから、席から立ち上がった。今日の昼ご飯は、何にしよう。

「あ、そうだ。小野くんは残ってもらってもいい?」

 予想だにしなかった佐鳥先生の声に、僕は「――え」と間の抜けた声を出してしまった。指名から逃れた同級生は、「小野って誰だっけ?」みたいな顔を瞬間浮かべていたが、すぐに自分に関係のないことが分かると、談笑に戻って音楽室を出て行った。

 この音楽室の中で、唯一仲が良い柏木くんも「頑張ってね」と握りこぶしを作ると、そのまま去っていった。

 一人心細く思いながら、音楽室の扉を見ていると、ちょうど教室から出ようとしていた秀と目が合った。だけど、僕はすぐさま目を反らす。音楽室の空気が固まったような気がしたけれど、秀が扉を閉めたことで、その空気は強制的に終わりを告げる。

 秀に対して勝手に気まずい思いを抱いていたところに、

「じゃあ、小野くん。ここに座ってね」

 二人きりの教室に、佐鳥先生の椅子を引く音は、やけに大きく響いた。佐鳥先生の助け舟にホッとするが、すぐに気付く。別にこれは助け舟でも何でもなく、むしろ別の沈没船に足を突っ込んでしまっただけだ。

 勿論、そんなことは口が裂けても言えないから、どんな話が待っているのだろうとドキドキしながら、僕は席に着いた。

――③へ続く

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