[連載小説]うつろいゆくもの④

 ***

 突然現れた人物に、私は驚きを隠せずにいた。達観した雰囲気を醸し出す佇まいに、つい多恵おばあちゃんの背中に半身を隠せるような位置に移動する。目の前の人物を観察するように、上から下へと眺めていくと、どこかで見たことがあるような気がした。

 でも、どこでだろう。喉の奥に小骨が引っかかったように、居心地が悪い。

 そんな私の不躾な仕草にも、彼は気にすることなく、柔らかな笑みを浮かべ、

「私が将さんに依頼したものなので、怒られることはありません。それに、こんな素敵な花を見て、怒る人なんていないですから」

 男の人の言うことは、素直に頷くことが出来た。

 綺麗なものを見たら、わだかまっていた心も解ける。実際に私は体感したから、そう断言出来る。

 改めて、あたり一面に咲き誇る花を目にして、より穏やかな気持ちになっていく。

「先日はお茶菓子を頂いて、ありがとうございました」

「いえいえ、お礼を言うのは私の方です。将さんにも多恵さんにも、いつもお世話になっていて……」

 頭を下げた多恵おばあちゃんにつられるように、目の前の男の人も丁寧に腰から前に傾ける。見本となるような洗練された仕草に、「――あ!」と、私は思い出した。

 どこかで見たような顔だと思っていたが、そうだ。先日、将おじいちゃんの家の前で、一目散に駆け出して行った人だ。それと同時、彼に対する情報が詳しく思い出された。

「三矢市長!」

 私が通う中学校だけではなく、様々な場所に三矢市長は顔を出していた。だから、私はどこかで見たような記憶があったのか。

 しかし、声高らかに言った私の言葉に、市長はどこか申し訳なさそうに首を横に振った。

「今の私は、もう市長じゃありません。市長としての任期は終わり、つい先日から別の方に市長を任せました。だから、今日はこうして、ちょっとしたイベントを開催するようにしたのです」

 市長が変わっていたことなんて、今まで知らなかった。多恵おばあちゃんの方に顔を向けると、全てを知っていたかのように、口角を上げている。

「この景色は、市長として、そして新市長を支える一市民として、将さんに依頼して作って頂きました。いえ、市役所の周りだけじゃなくて、この町のどこに行っても、花が見られるようにお願いしたんです」

 元市長は「我ながら、無茶ぶりだと思いましたけどね」と、頭に手を触れながら言う。

「けれど、将さんは私の依頼に、十二分に応えてくださいました。花が開くまで、昼夜問わず毎日管理してくださったり、この前の雨の日だって、アドバイスを貰えれば良かったのに、将さんは自ら様子を見に来て頂きました。あの日、将さんが駆けてくれなければ、雨風にやられて、この景色も見られなかったかもしれません」

 一昨日の夜に何が起こっていたのか、ここで私はようやく合点がいった。

 あの日、私が三矢元市長の背中を見たのは、花を案じる将おじいちゃんを追いかけに行ったからだったのだ。

 雨が強い日であろうと、太陽が照り出す日であろうと、目の前の花がその役目を果たせるように手入れをする。

 将おじいちゃんらしいな、と思った。

「でも、将さんが凄いところは、そこだけじゃありません。花を優しく愛でるように、人にも優しく接する人です。昔、将さんにそのように接してもらって、私もそのようにしたいと思うようになった――、そのおかげで今の私があります」

 三矢元市長は、過去を顧みるように目を細めた。将おじいちゃんと元市長との間に、過去何があったかは分からない。だけど、私に優しく接してくれた時のように、将おじいちゃんは誰に対しても、そのような振る舞いを見せることは容易に想像出来た。

「そろそろ出てこられるようですよ」

 広間のステージへと向けられた三矢元市長の視線を追う。すると、そこには現在の市長と思われる人物と入れ替わりに、

「――しょ、将おじいちゃん?」

 私の良く知る将おじいちゃんが登壇した。前に立つというのに、将おじいちゃんの格好は、汚れてもいいような服装に首元にはタオルが掛けられていた。

 思ってもいなかった一方的な対面に、私は驚きを隠せなかった。思わず多恵おばあちゃんの顔を見ると、いかにも待ってましたと言わんばかりに拍手を送っているところだった。どうやら多恵おばあちゃんは、将おじいちゃんが前に立つことを知っていて、私をここまで連れて来たようだ。気付けば、三矢元市長も手を叩いている。

 正直、多恵おばあちゃんと三矢元市長しか拍手していなかったから、周りの人は何事かと訝し気な視線を時折私たちに注いでいた。一瞬中学校で浴びた視線を思い出したが、私は払拭するように息を漏らす。昨日だったら委縮した視線だけど、今は気にならなかった。

 それよりも、今は将おじいちゃんの方だ。

「ただ今ご紹介に預かりました、丹場将と申します。本来なら、このような場に顔を見せるような立場ではございませんが、現市長と元市長のご厚意により、こうしてお話しする機会を頂きました」

 前に立って話すことに慣れているかのような、堂々とした口調だった。何だか将おじいちゃんの声を久し振りに聞いた気がする。「こほん」、と将おじいちゃんは咳払いを挟んだ。

「皆さん、この市役所を彩る花々を見て、何を感じられるでしょうか?」

 突然投げかけられた問いに、ほとんどの人が互いに顔を見合わせながら、首を傾げた。質問の意図が読めなかったのだ。私も同じだ。

 将おじいちゃんは、顔に柔らかく皺を刻ませると、

「花を咲かせるためには、様々な工程があります。種を選び、蒔き、土を見極め、肥料を与え、耕し、水を与え、芽が出て、葉が出て、虫に喰われないように守り、どんな環境でも咲くことが出来るように、毎日惜しみなく関心を注ぐことが必要です。おそらく花を育てたことがある人は分かるでしょう。花開くまで育てるということは、想像以上に大変なことです」

 誰もが一度は育てた経験があるのだろう、将おじいちゃんの言葉に、聞いている人達は少なからず反応を示している。

「だからこそ、様々な工程を経て咲いた花は、見る人の心を掴んで離しません。愛情を注がれて育ったものは、美しくあります。このような真心を、私は矢須崎町のあらゆる場所で蒔いた種に籠め、手を加えています」

 将おじいちゃんに惹き込まれていくかのように、市役所の周りにいる人々の顔つきが変わり始めていた。

「これから、季節ごとに多種多様な花が咲くでしょう。その花を見て、美しいと少しでも心が良い方へと動いて頂けたら、それほど甲斐のあることはありません。これが、現市長と元市長から依頼されたことであり、私個人がずっとやりたかったことです」

 将おじいちゃんの想いを明確に知る人は、この町ではほとんどいなかった。だから、理解出来ないものを拒むように、将おじいちゃんの悪口がこの町で蔓延した。

 けれど、将おじいちゃんの口から想いが伝えられ、実際に行動に移していたことが判明したことで、町の人々の見る目が変わっていくのが、手に取るように分かった。言ったことに嘘偽りがないから、将おじいちゃんの言葉には力がある。

 不躾な視線を送る人は、もうここにはいない。

「市長が変わることで、町の行く末も大きく変わるのではと不安に思うかもしれません。ですが、新しく就任した市長は、この町に住む人々が快適に暮らせるよう、まさしく花を育てるような想いで町の舵を取ってくださると、私はそう信じています」

 そう話を結ぶと、舞台から下りた現市長に頭を下げ、話を聞いていた私たちに対しても、丁寧に頭を下げた。

 その瞬間、どっと湧き上がるような拍手が鳴り響いた。多恵おばあちゃんも、三矢元市長も、力強く両手を合わせている。私も自分の意志で、両手を叩く。

 この惜しみない拍手は、将おじいちゃんの行動が認められた証拠だ。

「――」

 顔を上げた将おじいちゃんと、ふと目が合った気がした。将おじいちゃんとの距離は遠いから、将おじいちゃんは気付かないかもしれない。それでも良かった。

 だけど、将おじいちゃんは、力強い笑みを浮かべた。その笑顔は、将おじいちゃんと会うと、いつも私だけに向けてくれていた安心感を与えてくれるものだ。だけど、すぐに別のところに体ごと向けてしまったから、それが本当に私に対してのものだったのかは分からない。

 あとで、将おじいちゃんの家に行って、直接確かめよう。

 久し振りに将おじいちゃんの家で、ゆっくりと話したくなっていた。話したいことは、私の心に山ほどあった。

<――終わり>

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