[連載小説]夢の根もと③

 ***

 憧れの使者を、ピエールとブランは目の前にしていた。

 村の伝統が実行される日、村長を通して、ピエールとブランは村の外れまで呼ばれていた。この場所にいるのは、二人の他に、馬車に乗って現れた使者だけだった。

 噂に聞く使者の立ち振る舞いは、この村では見ることの出来ないほど、丁寧かつ洗練されたものだった。中心地で高貴な生活を送っていることが、その佇まいだけで見て分かった。

「では、私と共に行きましょう――」

 使者の唇が動く。

 顔の前で祈るように手を組むブランに対して、ピエールは堂々と使者に向き合っていた。

 この村に生まれ、自我が芽生えた頃には、使者がピエールのことを中心地に連れて行くことを夢見ていた。その先の暮らしも、何度も頭の中に思い描いていた。

 実際、村の中で一番優秀なピエールには、その資格もある。

 その夢が現実へと変わる、その瞬間を――、

「――ブランくん」

「……は?」

 まさか他人に奪われるとは、ピエールは思いもしなかった。しかも、自分よりも劣っていると思っていた相手に――、だ。

「はいっ!」

 馬車に戻ろうとする使者について行くため、ピエールの隣からブランが離れていった。使者の元へと進むブランの表情は、ピエールが見たことがないほど嬉々としていた。

 ブランと使者が離れていくのを、静かに眺めていた。

 今起こっている出来事を、現実として受け入れることが出来なかった。頭の中がふわふわとして、足元も揺れていて、ピエールは夢を見ているのかと思う。

 馬車に足を掛けたブランが、同情するような視線をハッキリとピエールに向けた。

 ようやくピエールは我に返った。

「ま、待てよ、ブラン!」

 叫ぶようなピエールの声に、ブランが馬車に乗り込む足を止めた。

「お前もこの結果がおかしいと思うだろ? 勉強も、運動も、お前より出来るのは俺だ! この村でずっと優秀だったのは、俺の方だったじゃん……っ!」

 喉が張り裂けるほど痛切に言葉を発する度、自分はなんと小さいのだろう、とピエールは卑屈な想いを抱いていた。

 しかし、それでもピエールの唇は止まらなかった。情けなくても、ピエールの訴えが使者に届いて中心地に連れて行って貰える可能性があるなら、一時の恥だと割り切ってしまえる。

「うん、そうだね。ピエールはすごい人だよ」

 賛同するブランの声に、心底安堵してしまう自身が情けなかった。

「だったら、お前よりも俺が中心地に行くべきだって思うだろ……? 嫌なのに、断われないなら、ハッキリと言葉にした方がいいぞ」

 いつものブランだったら、素直に頷いてくれるはずだ。ブランは人の言葉を否定しない優しい性格をしている。

 そうピエールは高を括っていたのだが、

「僕は無理やり行くんじゃない」

 想像の遥か斜め上の発言に、思わず固まってしまった。

 ピエールを捉えるブランの瞳は、真っ直ぐだった。自分の意見は間違っていない、そう主張している。

「確かに、僕なんかが使者の方に選ばれるとは思っていなかったから、不安な思いもあるよ。でもね、それよりも、僕はずっとドキドキしているんだ。中心地に行くことで、ようやくユイルのように変わることが出来るかもしれないって」

 変わりたい、と思うブランの心を初めて知った。いや、ブランの考えをハッキリと言葉にして聞いたのが、ピエールにとっては初めてのことだった。

「ユイルのように立派な人間になりたいって、ずっと思っていた。だけど、僕の知識なんかで人の役に立てるかなんて自信はなかったし、体も弱い僕なんかじゃ倒れている人を起こすことは出来ないかもしれないって、ずっと悩んでいた。それでも、ユイルのように人のために生きたいと思っていたから、僕に出来ることは精一杯やって来た。ユイルがやったことは、僕なりに真似だってしてみた。少しでも僕の力が役に立ったと、村のみんなに誉められた時は、すごく嬉しかった」

 もうブランの声を聞いていたくなかった。

 けれど、ブランの声はおろか、ブランの目からも、ピエールの意識は離れてくれなかった。

 ピエールは気付いていなかったが、それほどまでにブランには人を惹きつける力がある。

「そして、今こうして使者の方が、僕を選んでくれたんだ。だから、僕は中心地に行く。僕を送り出してくれる村の人のためにも、学べることは学びたい。中心地で過ごして、もし人の前に立てるくらいに自分に自信が持てるようになったら、堂々と困っている人のために行動をするんだ。ユイルのようにはなれないとしても、ユイルのようになることを諦めたくない」

 自分の実力を誇示したかっただけのピエールとは、ブランの考え方はまるで違っていた。

「……そろそろ出立しましょう」

 ピエールが黙り込んだ時を見計らうように、使者が言った。躊躇なく、ブランは頷いた。

 馬車の中に乗り込んだブランに、ピエールは何一つ言うことは出来なかった。自分自身の小ささを思い知るだけだ。

「今までありがとう、ピエール」

 ブランが最後の言葉を放ってから、どれほど経過しただろう。

 ピエールの頭の中では、ずっとブランの言葉が駆け回っていた。

 呆然と立ち尽くしていたピエールが、今の自分の行動に意味がないと気が付いたのは、馬車の姿が見る影もなくなった時だった。

「……俺が選ばれないって、ありかよ」

 沈む心に比例するように、ピエールは俯きながら歩き出す。

 今は誰にも顔向けすることが出来なかった。あれだけ大言壮語しておいて、使者に選ばれなかったのだ。穴が入ったら入りたい、とはまさにこのことを言うのだろう。

 幸い、ピエールが現在いる場所は村の端だった。村の外に出ようとしない限り、ここで誰かとすれ違うことは少ない。集落に戻ったら、道の端を通りながら家に戻ろう。そして、暫く家に籠ろう。その先は――、分からない。

 とぼとぼと歩くピエールに対して、

「あ、ピエールだ」

 無邪気に呼び止める声があった。

 ピエールより年下の、妹のように可愛がっていたベルだった。気分が沈み込んでいる時に話したいと思う相手ではなかったが、無視をすると後が面倒くさくなることをピエールは重々承知していた。

 ピエールは「何してるんだ、ベル?」と問いかけた。

「ブランが村を出ていくって聞いて、最後に会いに行こうと思って」

「あいつの家に行っても、もう遅いぞ。……さっき使者と一緒に、中心地に行ったからな」

「えー、もう行っちゃったの?」

 ベルは泣きそうな顔をしていた。

「ブランじゃなくて、ピエールが行った方がよかったのに」

 ベルの口から漏れた言葉に、ピエールの沈んでいた心は浮上する。目の前にいるベルは、ブランよりもピエールが優れていると認めてくれていることが嬉しかった。

「そ、そうだろ! あいつなんかより、俺の方がすげーよな!」

 上擦った声でピエールが言うと、ベルは「違う!」と髪が乱れるくらいに大きく顔を横に振った。

「ブランの方がすごいもん!」

「……は?」

「ピエールより優しいし、話も聞いてくれるし、遊んでくれるし、分からないことは丁寧に教えてくれるし、食べ物だってくれる! でも、ピエールはいつも自分がすごいって言うだけで、私のことを見てくれないから、嫌!」

 純粋な子供だからこそ、ベルの言葉はピエールの胸を貫いた。

「ブランと一緒にいたかった……。もっと遊んでほしかったよぉ……」

 想い出を掘り起こしているのか、ベルは泣きじゃくっている。ピエールが何を言ったところで、ベルの涙は止まらないだろう。

 声を上げて泣きたかったのは、ピエールの方だった。

「も、もういい!」

 自分より年下の女の子に対しても、捨て台詞だけしか残せずに逃げてしまうことが、ピエールにとってただただ悔しかった。

<――④へ続く>

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