[連載小説]夢の根もと④

 ***

 使者がやって来るこの日は、ピエールにとって人生の転機となる日のはずだった。

 中心地に行くことで、この小さな村で学べないことをたくさん学んで、世界中の誰もが認めるくらいに凄い人間になると夢見ていたし、実際そうなれるとピエールは信じて疑わなかった。

 しかし、実際は逆の意味で転機となってしまった。

 まさか使者に選ばれるのがブラン一人で、村の離れの山奥で一人膝を抱えることになるとは、ピエールは予想だにしなかった。

 馬車に乗る瞬間の、ブランの顔が浮かぶ。

 あまりにも屈辱的な出来事だ。

 そして、更に地の底に叩きつけられるような出来事が同じ日に発生するとは、ピエールは思いもしなかった。

「結局、ブランが選ばれたのね」

「ピエールと比べて、ブランは優しい子だから、ある意味当然の結果かな」

「自分から仕事を手伝ってくれるブランには、いつも助かっていたんだけど」

 容赦のない声が、村の往来を歩く度に、ピエールの耳に突き刺さった。その一言一言が聞こえる度に、ピエールの心は打ち砕かれていく。

 誰よりも優しいブランは、ユイルの村において、まさに必要不可欠な存在だった。村のために何一つせず、自分のことしか考えなかったピエールは、お呼びではないのだ。

 これまで勘違いしていたことを痛感させられ、自尊心を保つ余裕はピエールにはもうなかった。

 今後この村で一生を生きるとして、どのような顔をして過ごせばいいのか分からない。

 もう村に戻らず、一人で別の場所で生きたかった。いや、動くことさえも億劫で、ずっと山奥にいたかった。

「ここにいたのかい、ピエール」

「……」

「家に行ってもいなかったから、心配して探したよ」

 何も言わないピエールの隣に、村長は腰を掛けた。

「候補に選ばれたことを告げた日、ブランもここで膝を抱えて悩んでいたよ。二人の性格は正反対なのに、実は似ているところもあるんだなぁ。ははっ」

「……っ」

 人の気も知らずに笑う村長に、ピエールの我慢は限界を迎え、「……ずっと馬鹿にしていたんだろ」と呟く。ピエールの言葉を聞き取れなかった村長は、とぼけた顔でピエールを見ていた。

 ピエールは勢いよく立ち上がり、キッと村長を睨み付けると、

「村長は俺が選ばれないことを知っていて、心の中でずっと笑ってたんだろ! 村長だけじゃない! この村の連中、みんな同じだ! 今だって、俺がショックを受けている顔を見たくて、わざわざ来たんだ!」

 胸の内を全て曝け出したピエールは、まだ興奮を抑えることが出来ず、肩で呼吸をする。

 ただでさえ静かな山奥にいるため、響く音は、ピエールの荒々しい息だけだった。

「……そうだよ」

 静寂を切り裂いた村長の声に、ピエールはますます頭に血が上って来るのを感じた。もう誰も信じられなかった。ピエールは奥歯を噛み締め、拳を握り締めた。

「ショックを受けたピエールが、どう結果を捉えて、前に進むのか見たかった」

 何を言われているのか、ピエールは理解が出来なかった。

 村長の意図を考えていく内に、ピエールの心は少しだけ落ち着いて来た。少なくとも、怒りによって肩が上下することはなくなった。

「どうしてブランが選ばれたと思う?」

「……知らない。みんながブランのことを贔屓でもしたんだろ」

「ははっ、そんなことはしないよ。ブランにもピエールにも中心地に行って欲しいと、この村に住む者はずっと平等に願っていたさ」

 ピエールが候補に選ばれた日、村人達が期待の眼差しで声を掛けて来た。あの温度に嘘はなかったと分かっていたからこそ、ピエールは反対の言葉を口にすることはなかった。

「ユイルが何をした人か、ピエールは具体的に知っているかい?」

 ピエールはすぐに答えることが出来なかった。

 世界中から認められるくらい優秀だったことは知っている。けれど、その功績を詳しくは知らない。

「この村を出たユイルは、世界を渡り歩いた。誰に対しても平等で、慈しむ心を持っていたユイルは、困苦に陥る人を慰め、勇気づけた。そして、ユイルが足を踏み入れた場所は、荒れ果てていた土地でさえも、人々が互いに手を取り合って作物が実るようになったんだ。それが、功績として残っている」

 ピエールを咎めることなく、村長が説明をしてくれる。

「更に、満足に学ぶことが出来ない子供たちのために、ユイルは教育を受けられる場所を世界の至るところに作り上げた」

 その内の一つが、この村が属している国の中心地にある。村の伝統は、ユイル

「ユイルは優しい人だったんだ」

 ピエールにとって、初めて聞く情報だった。

 ユイルは時代を先取りしたような知恵で新たな発明や文明を築き上げたのかと、ピエールは今まで思っていたが、間違いだと悟る。

 自分の人生を懸けて、自分の出来ることを世界のために行なった結果が、ユイルという人物の名前を世界中に轟かせたのだ。

「自分は足りないとブランは悩んでいたが、それでもユイルのようになりたいと、自ら進んで人に寄り添った。ブランの心は、優しかった」

 いつも歩くのが遅いのも、誰も離れないように見守っていたから。

 課題を解くのが遅いのも、一つ一つの問題に真剣に取り組むから。

 今まで疎ましく思っていたブランの行動が、ブランの丁寧な心からだったことが、今のピエールにはよく分かった。

 そして、その心の本質がユイルと近いことを見抜いた使者は、今回ブランを選んだ。

 井の中の蛙となっていて、自分の凄さを証明したいだけだったピエールが選ばれないのは、当然だろう。

「……俺、これからどうすればいいのかな」

 中心地に行くという目的がなくなった今、ピエールには何もやりたいことがなかった。

「自分を磨き上げればいい」

 村長は迷いなく答えた。

「まだピエールは子供だ。今から自分を磨き上げれば、何にでもなれる。それこそ、ユイルのようになることだって出来るよ」

「……無理だよ。だって、俺は中心地に行くことは出来なかった。これからブランは、今まで村で培った人格に加えて、中心地でしか学べないことを学んで、更に成長していく。そして、俺のように自分の力に過信しないで、周りを気遣って、世界中から認められるような奴になるんだ。ブランなら、ユイルのように有名になることは出来るはずさ。でも、俺は……」

「ユイルがこの村を出て行ったのは、大人になってからだった」

 間に入った村長の言葉に、ピエールは「え?」と思わず聞き返した。

「選ばれたから偉いとか、そういう話じゃないんだ。中心地でしか学べない知識があるし、この村でしか得られない体験もある。大事なのは、心の持ち様だ。だから、ピエールも諦めることはないさ。この村で成長して、外に出たいか村のために何かをしたいか、大人になったピエールが自分自身で選べばいいんだよ」

 村長の言葉に、ピエールの中で今まで感じたことのなかった想いが芽生えた。

 中心地に行くために優れているべきだと気負っていたが、自分に出来ることを自分のペースでやればいいと気が付いた。もう先ほどの自分を責めるような卑屈な思いは、跡形もなく消えていた。

 ――ユイルに近付くために、この村で過ごしたい。

 ピエールの体も心も軽くなっている。今すぐにでも動き出したかった。

 村長は温かな眼差しをピエールに向けながら、「おぉ、そうだ」と思い出したように声を漏らした。

「ピエールが真っ先にやるべきことを思いついたよ」

「お、俺は何をしたらいいんだ?」

 ぐいっと一歩踏み出したピエールの頭を優しく撫でながら、村長は言う。

「ユイルの想いとピエールの想いが一致したとしても、一人でいたら、みんな気付かないままだからね。だから、真っ先にすることは、この山から下りて村に戻ることさ」

<――終わり>

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