[連載小説]問イカケル③

***

 第一発見者は、俺だった。たった一週間近く前の出来事だから、鮮明に憶えている。

 最初に抱いた感想は、なんでお前が、だった。まるでテレビのインタビューみたいな、ありきたりな感想だが、そう思ってしまったのだから仕方がない。生徒会長を務めるアキラが、あんなことをするなんて思ってもいなかった。

 一週間前、サボって溜まりすぎていた仕事を片付けようと、朝の清々しい時間に学校に向かった。時刻はまだ六時半くらいで、誰もいないと思っていた。
 校舎の中はあまりにも静かで、時間が止まっているかのような雰囲気だった。

 いつもと空気が違うなと直感が過るも、こんな朝早くから学校に来ることがない俺は、早朝の雰囲気をこんなものかと割り切っていた。ただ、やけに風通りが良くて、少しだけ寒さに震えそうになった。
 一日中窓が開けっ放しで、校舎全体が冷えてしまったのだろうか。生徒が登校する前に、校舎の中を温かくしないとな、と先生のようなことを思いながら、空いているはずの窓を探そうと校内を探索することにした。

 一階の職員室に通じる廊下を歩いていると、誰かが窓際の壁に背を預けながら足を伸ばしている姿を発見した。こんな早くに誰だろう、と思うと同時、朝から面倒事は勘弁してくれよ、と思っていた。

 出来れば関わりたくないのだけれど、見つけてしまったからには見逃すことは出来ない。

 肩を揉みながら、足を伸ばしている人物に近付くにつれ、違和感に気付く。
 件の人物の服装は、まさしくうちの高校の制服だった。しかも、窓の向こうの景色が一部分だけクリアに見えると気付いた時に、ようやくそこが割れているんだと悟った。

 しかし、そんなことよりも俺にとって一番衝撃的だったのが――、

「……アキラ?」

 事態を呑み込めず、その場で立ち尽くしてしまった。

 この学校の生徒会長で、真面目という言葉を体現したかのようなアキラがなんで。心を通過して思わず口からアキラの名前が漏れ出しても、アキラがこの場にいることを実感するには程遠い。

 廊下に立つ俺の存在に気が付くと、

「ヤマダ先生。お待ちしていました」

 と平然とした振る舞いで立ち上がり、アキラ自ら声を掛けて来た。

「……お前、何があったんだ?」

 ようやく現実に戻り、俺は教師としての使命を全うすべく、アキラに問いかける。

「今日、推薦入試の当日なんです。それで、昨日の夜に家で最終チェックをしている時に、生徒会室に置きっぱなしにしていた資料を忘れたことを思い出して、夜遅くに学校まで取りに戻ったのですが、急にどうしようもない不安に駆られてしまって……。気付けば、窓ガラスを割ってしまいました」
「割ったって……、割れたガラスの破片は?」
「割った後、正気に戻って片付けました。もし、誰かが廊下を通った際に怪我をしたら大変ですから」

 一応、話の筋は通っている。仮にアキラが犯行を及ぼしたとしても、自責の念に耐えられなくて、今の証言のようなことを実行しそうだと思った。結局、周りのことを気にしてしまうような優しい子なのだ。

 だけど、筋が通っているからといって、実際にアキラがそれをやるとは到底思えなかった。アキラなら考えに過った瞬間、ものの数秒も経たないうちに、悪い考えを取っ払えるはずだ。
 それに加え、今の説明だって、あまりにも淀みがなさすぎた。まるで予め準備した文章を音読しているだけみたいだ。

「それと、職員室に入って、週末の試験の答えを盗もうとしました」

 俺が顎を指で抑えながら考えていると、付け足すようにアキラが言った。

「……しましたってことは、未然なんだな?」

 思わず問い詰めるような口調になってしまった。訝しむような俺の視線にも、アキラは一切物怖じしない。

「はい。でも、やろうとしたことには変わりません。もし全校朝礼で僕のことを言うならば、そのことも伝えてください」
「やっていないことを、言う必要はないだろう」
「いえ、とても大事なことです」

 相対するアキラの瞳は、真っ直ぐに澄んでいた。俺は溜め息を吐いて、「……分かった。校長先生に、そう言っておく」と返事をした。その時の、アキラのホッとした表情の意味は、今も分からない。

 自分が更に不利な状況に陥るというのに、どうしてそんな顔をするのか。

「……正直、こんな事件がこの高校で起こったのは初めてだから、どうなるか分からない。ひとまずアキラの話を参考にするしかないから、もっと詳しく聞かせてくれ」

 そう言って、アキラを職員室まで連れて行くことにした。だけど、それよりもアキラを冷たい廊下にい続けさせたくない、と思ったのが、正直なところだった。事実は分からないにしろ、もしアキラの証言にも正しいものがあるのなら、夜半の間、凍てつくような寒風に晒されていたことになる。

 職員室に辿り着くと、何かを訊ねるよりも先に、いつも飲んでいるインスタントコーヒーを作ってアキラに渡した。ホットコーヒーを飲んだアキラの瞳が、少しだけ潤んだように見えた。俺は深く言及することはなかった。

 俺以外の教師が職員室に来るまでの間、アキラからぽつぽつと話を聞いた。けれど、先ほどの供述以上の情報が引き出されることはなかった。そして、俺の次に職員室にやって来た校長先生に、事の顛末を全て話すと、臨時の全校朝礼が開かれた。
 緊張しているのか、校長先生の説明はたどたどしかった。傍から聞いていると、その説明ではまだ参考人でしかないアキラが、まるで犯人扱いされてしまうのではないかと、気が気でなかった。

 そして、俺の予想は、見事当たってしまった。

 生徒会長であるアキラをあれだけ慕っていた生徒は、掌を返すようにアキラのことを責め始めた。

 責任を取って生徒会長を辞めたにも関わらず、生徒の声は止まらない。

 事件一つを足切りにして、この学校の空気は変わってしまった。

 生徒達は、アキラを責めることを善とし、善を成すためならと、自分達の考え得る最善を尽くしている。生徒達なりに導き出した最善が、無言の内に生徒間で共有され、学校の空気を満たしている。

 けれど、たとえ善だとしても、度が過ぎるほど行なったら悪になる。

 そもそも、犯人だと決まってもいないアキラを責めることは、善でも何でもない。
 周りに同調してしまった結果、生徒達は真実を知ることを無意識に拒んでいる。だからこそ、俺は教師として分別する知恵を、教えるべきだと思う。

「――けど」

 生徒達に教えられたらいいけど、こういう大切なことは言葉で言っても伝わらない。言葉の意味が分かったとしても、自分で体感しなければ、本当の意味で理解は出来ていないだろう。
 そもそも俺だって、大人になって少しずつ学んだんだ。高校生の時は、今の生徒達と同様に、周りに合わせて生きていた。

「……今も変わらない、か」

 自分の思考に、小さい声で反論した。

 もしも本当に周りに流されないように生きられるようになっていたら、間違っていることは間違っていると主張して、こんなにも息詰まったように悩むようなことはしていないだろう。

 大人かつ教師である俺達も息苦しいのだから、敏感な生徒が影響を受けていないか心配になる。

 しかし、当事者であるアキラは、文句ひとつ言わなかった。むしろ、言い方は変になるかもしれないが、こうなることを望んでいたかのようにさえ見えた。実際、最初に現場でアキラに会った時の供述も、自分を犯人扱いしたいかのような口ぶりだったのだ。

 アキラ自身が何も語らない今、この事件の真相は、いまだ闇の中だ。

 連日の職員室は、アキラに関する対応で追われていた。先週末にあるはずだった試験も、解答を見られた可能性も考慮して修正することを強いられたため、延期になった。

「……はぁ」

 肉体的にも精神的にも疲労が重なって、思わず溜め息を漏らす。

 先ほども、生徒会の中で上級生ゆえに責任を取って動いている書記のマツナガと、生徒会長がいなくなって突然一番上の立場に立たされることになった副会長のカナイが、この高校の運営について行き詰っていたので相談に乗った。

 コーヒーを口に含みながら、アキラのことを思う。
 真面目なアキラは、一度決めたら最後までやってしまうタイプの子だ。きっとアキラの中で譲れないものがあって、犯人役を最後まで演じる心づもりが出来上がってしまったのだろう。
 あの日、朝日に照らされるアキラの表情から、そういった心情を感じ取ってしまった。

 俺の勝手な思い違いかもしれないが、そうだと信じたい。
 正しい情報があれば、本来アキラはこのように誤解を受ける子ではないのだ。

 だからもし。

 もしも、アキラの心が変わって真相を語るようになったならば――、もしくはアキラとは別の子が真実を語ってくれるならば、俺は全力で支えようと思う。

 もう二度と、この学校が息苦しい場所にならないように――。

 そう心に決めながら、いつもよりも濃く、苦々しく出来上がったインスタントコーヒーを、喉の奥へと押し込んだ。

<――④へ続く>

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