[連載小説]問イカケル④

問イカケル①

問イカケル②

問イカケル③

***

 人の心は、変わりゆくものだ。

 あいつを巻き込んだ事件で、その事実をありありと痛感させられた。

 仲が良かったはずの人でも、あることがきっかけで口も利かないような関係になったり、逆に仲が悪い人だったのに、急激に心の距離が縮まったりもする。
 ずっと同じものなんてなくて、そして変化する時には痛みが伴う。その変化が良くても悪くても、誰かが痛みを背負っている。

 不要な痛みを味わうことを知りながら、俺は一石投じることにした。痛いからと言って、変化を恐れていては現実は何も変わらないのだ。俺が動くことで、この空気が再び変化するように願いを籠めて、隣のクラスにいる人物に声を掛けた。

 そのまま、そいつを人目のつかない廊下まで連れ出すと、

「――なぁ、マツナガ。生徒会書記の立場から、生徒会長の立場になった気持ちを教えてくれよ」

 振り返りざまに確認したマツナガの瞳孔は、思い切り見開かれていた。ちなみに、マツナガの下の名前は知らない。生徒会という立場にいることで苗字を目にすることはあったから、なんとなく憶えているだけだ。

「ま、待ってよ、テツキ」

 何も言わないマツナガの代わりに、俺達のことが気になって後を付けていたルリが、息を切らして問いかけて来た。そう言えば、ルリとマツナガは同じクラスだった。他クラスの人間が――、しかも幼馴染の人間が、堂々と教室に入っていけば、不審に思うのも仕方のないことだ。

「なんで書記のマツナガくんが、生徒会長の立場になれるの? うちの高校には、副会長のカナイくんもいるじゃない。普通、会長の次に偉い立場の副会長の方が――」
「簡単なことさ。原則、この高校の会長は三年が務め、副会長は二年が務める。だけど、まだ二年の副会長には難しい後始末だから、三年かつ書記であるマツナガが、会長の立場として運営している。……違うか?」

 最後の一言は、マツナガに向けて言った。呆然としていたマツナガだったが、立て直すように首を一度だけ首を振ると、嘲るように口角を上げ、

「か、勝手な憶測で物を言うのはやめてくれ。生徒会長のようになりたいから、僕がアキラを貶めたって言うのか? 僕は今、アキラの後処理で疲れているんだ。アキラの影響力は、みんな知ってる。後始末に追われるって分かりながら、どうして好き好んでやりたがるんだよ」
「そうだよ、テツキ。それに、いつも真面目なマツナガくんが、窓ガラスを割るなんてするわけないじゃない」
「なら、ルリはアキラが窓ガラスを割ったと思うのか?」

 俺の指摘に、ルリは口ごもる。俺とルリとアキラは、幼馴染だ。だから、アキラが絶対にそんなことをする人間ではないことは、知っている。

「この事件が起こって、一番得するのは誰かって考えたんだ」
「……得をする」
「ああ。事件が発生してから、約二週間――正確には十日だけど、この期間で変わったことは、大きく二つある」
「一つは、責任を感じたアキラが生徒会長を辞めたことでしょ。でも、それ以外に何かあったっけ?」
「あるだろ、皆が嫌いなテストが」

 俺の言葉に、ルリが「あ」と声を漏らした。マツナガは顔を真っ青にして、ただ黙っているだけだ。

「先週末に行なわれるはずだったテストは、解答を見られたことを危惧して、延期されることになった。いつテストが行なわれるかは分からないが、勉強をし直すにはいい機会になるはずだ。この二つを踏まえた上で、一番得するのは誰か。この十日間、アキラとは別に犯人がいることを前提にして、ずっと考えて、俺なりに調べていたんだ」
「……そういえば、ここ最近のマツナガくんの成績は下がっていたような」

 そこらへんの事情は、同じクラスのルリの方が詳しいだろう。

 最初からアキラと同じ生徒会に属している人が怪しいと踏んでいた俺も、実際、マツナガのクラスメイトから話を聞いた。
 そして、確信を得たから、こうしてマツナガと対峙することを決めた。

 下調べもせずに、確証もないまま言葉にしたら、誤解が生じる。それはきっと、人の良いどこかの誰かさんが許してくれない。

「だから、俺が導き出した事の顛末はこうだ。自己満足に飢え、成績にも限界を感じていたマツナガは、職員室から解答を盗むことを決めた。そして、実際夜遅くに窓を割って校舎に侵入したマツナガは、運が悪いことにアキラに見つかった。アキラの事情は、多分全校集会で説明があった通りだ。で、アキラと対面したマツナガは、アキラに罪を押し付けて逃げた」

 俺の説明を、ルリもマツナガも口を挟むことなく聞いていた。

「それからのマツナガは、アキラの代わりに代理として生徒会長の役を担うようになり、改めて勉強する時間も出来た。マツナガくらいに頭が良い奴だったら、少しでも勉強する時間が取れれば、テストの点を大いに伸ばすことが出来るだろ。それに、誰から聞いても、事件が起こって以降、マツナガの顔から憑き物が落ちたようだって話だ」
「確かにマツナガくんなら、両方とも条件がマッチしてる……」
「だろ。マツナガの想像した展開とは違うかもしれないけど、結局は望むとおりの結果となった。なぁマツナガ、違ったら反論してくれよ」
「……」

 マツナガはすぐには言葉を返すことはなかった。その態度は、もはや自白したも同然だった。

 どれほど時間が経っただろうか。恐らく一分も経っていないはずだ。しかし、体感的には昼休みが終わるくらいの時間が経っているように感じられた。それほど、この空間は緊迫した空気に満たされている。

「……もう、疲れてたんだよ」

 やがて、長い長い静寂を打ち破るように、マツナガが口を開いた。

「周りからの期待に応えるために、僕の限界以上を続けていくことが、いつしか苦しくなっていたんだ。それに、どれだけ頑張ったって、アキラがいる。僕が頑張ってようやく出来ることを、アキラは軽々とやってのける。それに、一見真面目にも見えないテツキや他のクラスメイトにさえも、成績が追いつかれているようになってさ。どう足掻いても、僕は上に立つことが出来ない。出来ることは、精一杯やったんだ。だから、もう楽になりたかった。この高校に来なければ……、アキラに会わなければ、こんな思いしなくてもよかったのにっ」

 悔しそうにマツナガは語る。マツナガの告白を聞いて、その気持ちが少しだけ分かった。あいつの幼馴染だった俺は、いつも何かと比較されて来た。

 ――幼馴染のアキラくんは何でも出来るんだから、テツキもしっかりするんだぞ。

 周りの声を、何度聞かされただろう。その度、心のどこかに傷を付けられているようだった。
 だから、アキラの才能を目の当たりにして、嫉妬に似た感情を抱いてしまうことも分かる。

 けれど――、

「それが、アキラを貶めていい理由にはならない」

 その気持ちを理解しつつ、俺はマツナガを慰めることはしない。

 幼馴染だからこそ、何でも出来るアキラに負い目を感じて、何度その関係性を崩したいと思ったことだろう。

 だけど、俺とマツナガが違うところは、俺はあいつの幼馴染でいることを諦めなかったところだ。
 時々つっけんどんな態度を取ったこともあったけど、必死にしがみついた。平均点以上を取れるように必死に勉強もしたし、毎日体だって鍛え上げた。アキラのように誰にでも手を差し伸べることは難しくても、俺に近付いてくれる人だけでも力になれるように行動した。

 こうして少しでもアキラと同じ位置で立てるように過ごすことで、優しいあいつを一人にさせないようにした。

「それに、アキラが簡単にやってることなんて、一つもない」

 アキラは生まれた時から何でも出来た訳ではない。むしろ、最初は運動だって俺の方が勝っていた。その状態から、アキラは必死に努力して、小学生なのに正気かってくらい努力して、今のアキラを築き上げた。

 アキラはどんなことにも真面目なのだ。出来ないことも、出来るところまで改善する。

 だけど、みんなアキラの表面的なところしか見ない。見ようとしない。あいつが、どれだけ悩み、苦しみ、もがき、それでも人に寄り添おうと努力していることか。

「アキラは誰も見えないところで、こっちが引くくらい頑張ってんだ。その努力は、絶対に否定させねぇ」

 溜飲を無理やり下げ、あくまでも淡々と告げる。

 マツナガがハッとしたように目を一度だけ見開かせた。そのまま、視線だけ右上、左上と移動させたが、

「……知っているさ」

 観念したように、マツナガが肩を落としながら呟いた。

「いつも生徒会で最後まで残るのは、アキラだった。この学校が良くなるように、生徒の悩みを聞き歩いて、先生にもしっかり相談していた。それだけじゃない。学校全体の評判がよくなるように、毎朝学校の周りを掃除して、放課後だって時間があればゴミ拾いをしている。アキラほど努力していてながらも、大っぴらにしない人を、僕は知らないよ」
「なら、どうして――」
「―――一つだけ」

 ルリの疑問を遮って、マツナガがゆっくりと人差し指を立てる。

「一つだけ、テツキの意見を訂正すると――、僕はアキラを貶めてはいないよ。全部、アキラが自らやってくれたことなんだ」

 そう言うと、マツナガは事件当日のことを滔々と語り出した。

 重ね連なったプレッシャーから逃げたくて、夜の学校に忍び込み、窓ガラスを割った直後、マツナガはアキラと出会った。
 突然のことに頭が追いつかないマツナガに対して、アキラの第一声は「大丈夫?」という、身を案じるようなものだったらしい。
 マツナガを咎めることなく、アキラは親身に話を聞いた。そして、全てを聞いたアキラが放った言葉は「ごめん、僕がもっと真剣にマツナガに声を掛けていれば……」という後悔だった。

「後のことは僕に任せてマツナガは帰っていいよ、って言うんだよ。僕は咄嗟に動けなかったんだけど、アキラに背中を押されて、そのまま帰ってしまったんだ。……それからは、皆が知っている通り」

 あらかた俺が思った通りの展開だった。

 ただでさえ心身ともに限界を迎えていたマツナガが、これ以上苦しまなくてもいいように、アキラはマツナガの罪を肩代わりした。その結果、大学の推薦をふいにし、生徒や先生の信用を失った。
 けれど、アキラは自分の選択に後悔することなく、変わらない日々を過ごしている

「だからって、アキラがそんなことする必要は――、いや、ううん」
「あぁ。そういう奴だよ、アキラは」

 何かを言いかけて一人納得したルリに同意するように、俺も頷いた。

 アキラとルリと俺。ずっと幼馴染を続けているからと言って、お互いの考えが全て分かるなんて言わない。けれど、何を思って行動したのかくらいは、何となく分かる。

 それから予鈴が鳴ったけれど、俺もルリもマツナガもすぐには動くことが出来なかった。
 動き出したら、またこの学校の空気が変わってしまうことを直感していた。

 しかし、止まり続けるものなんて、この世の中にはない。

 教師のヤマダが向こうから歩いて来るのが見えた。昼休みが終わり、授業に向かう最中だろうか。それとも、ただ単純に校内を見回っているだけかもしれない。どちらにせよ、ちょうどいいタイミングだった。

「なぁ、マツナ――」

 マツナガの方を見ると、腹をくくったような表情を浮かべていた。多分、誰が何を言うまでもなく、自ら告白するんだろうな、とそう確信した。

 もう俺が言葉を重ねる必要はない。そっとマツナガから離れ、教室に戻ることにした。

「ねぇ、テツキ。これでアキラは大丈夫になるだろうけど、今度はマツナガくんが心配だよ」

 俺の隣まで追いついたルリが、歩みを止めることなく、こそこそと耳打ちした。

 長年アキラと幼馴染を続けているから、ルリも基本的に人が良い。こんな行動を取ってしまう俺も、多分人のことを言えないのだろうけど。

「まぁ、なんとかなるだろ」

 アキラを攻める風潮がなくなれば、今度はマツナガが標的になるかもしれない。確かにマツナガも、最初は苦労するかもしれないが、その心配もきっと杞憂に終わる。

「どうせアキラが全力でサポートするからさ」
「……うん、そうだね」

 アキラは敵味方問わずに、誰でも助けてしまう性格をしている。いや、もしかしたら、アキラの中には敵も味方もないのかもしれない。

 助けを求める人には容赦なく手を差し伸べて、声も出せずに悩んでいる人には優しく手招きをするように支える。それが自分の損になろうとも、行動に移せてしまう。

 アキラがそんな性格をしているのは、マツナガの犯行を肩代わりしたことからも、すぐに分かるだろう。

 クラスメイトから稀有な視線を注がれることを覚悟しながら、俺とルリはそれぞれの教室へと入った。

<――終わり>

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