[連載小説]ベルの訪れ、宴は遠く①

 ***

 夜の繁華街に、目を閉じてしまいたいくらい眩いイルミネーションが輝いている。その光に吸い寄せられるように集った人々によって、繁華街の音が形作られていく。
 そんな町中を、国木田成実先輩と一緒に歩く。

 多くの人が酔って千鳥足で歩いているというのに、歩く先輩の後ろ姿はモデルさながらに整っていた。パンプスのヒールがアスファルトにぶつかってカッカッと鳴り響く音が、やけに鮮明に耳に届く。喧騒に解け込んでかき消されてもいいはずなのに、気になってしまうということは、俺が先輩にばかり意識を向けているからだろう。

 誰にも気付かれることなく、小さく溜め息を吐いた。どうしてこんなことになったのだろう。

 夜空に舞う小雪をぼんやりと眺めながら、先ほどの数十分前までの出来事を思い返す。

 人々の大声で賑わう店内。周囲に漂う、揚げ物やタバコの臭い。気を良くした上司。そんな上司を、更に持ち上げる部下。誰にも気付かれないように笑う、俺。
 まさしく飲み会の空気だった。時期的にも十二月だったから、少しだけ早めの忘年会も兼ねての営業部全体での集まりだ。

 五か月前に転職したばかりの俺だったが、まだ職場に溶け込むことが出来ずにいた。飲み会の最初の方は、「えっと、ホ、ホリさんは――」とたどたどしく俺に話しかけてくれる人もいたが、次第に仲の良い人同士で話が盛り上がっていく。

 話す人も、話しかけてくれる人もいない俺は、誰かの話に耳を傾けるフリをして、必死に相槌を打っていた。

 だけど、興味もない話にさも興味があるフリを続けるというのは、自分の心に嘘を吐く行為だ。胸の中に、不満は募っていく。そもそも酒も飲めず食も細い俺にとっては、飲み会はちょっと気まずい場所だ。

 いつ終わるんだろう。早く帰りたかった。左手首ばかりに向かいそうな意識を、なんとか目の前の先輩達に強引に向けていた。

 そんな状況で、

「明日も早いんで帰ります」

 そう声を上げたのが、先輩だった。

 先輩は自分の意見を曲げない人だ。どんな時でも、自分が正しいと思った道を歩む。その性格が功を奏し、先輩は部署の中でもトップの成績を誇っていた。
 だから、場の空気を乱すような突然の帰宅宣言に対しても、誰も文句を言う人はいなかった。そういう人だ、と皆が認識しているからだ。「おつかれー」「また来週もよろしくー」と、呂律の回らない声で送り出されている。

「お、俺も帰ります」

 これ見よがしに、俺も先輩の後について行った。入社してから先輩に面倒を見てもらっている俺は、先輩の後をついて行っても文句は言われない。いや、そもそも俺に注意を向ける人がどれくらいいるかは分からない話ではあるのだが。

 コートを手にして、「お疲れ様です」と言うと、俺と先輩は席を離れた。キンキンと耳を劈くような声と、色々な臭いが混ざった空気を、しっかりと扉を閉ざして押し込む。

 外の空気は、冷たくて、けど新鮮だった。少しだけ話題に上がるくらいに寂しく降る小雪のせいもあるかもしれない。全身の空気を入れ替えるように、大きく腕を伸ばした。賑やかな声、というのは往来に人々が集まっているから変わらないけれど、自分に関係していないからか、そこまで気にならない。

 右手首の腕時計にちらりと視線を落とした先輩は、黙々と駅に向って歩き始めた。解放感に浸ることなく、俺も慌ててついて行く。駅までは同じ方角だから、追いかけるしかないのだ。

 そんな経緯があって、俺と先輩は夜の繁華街を歩いていた。

 先輩と歩いていても、特に会話が広がるわけではなかったけど、飲み会の席にいるよりはまだマシだった。

 しかし、先輩は何を思い立ったのか、急に足を止めた。

 訂正。マシな時間は終わりを告げた。先輩が立ち止まったことで、俺のセンサーが敏感に反応する。

「ねぇ。そういえば、あそこのお客、ちゃんと営業取れるの?」

 振り返った先輩が、鋭い目つきで俺を見る。

「え、えと、多分……」

 蛇に睨まれた蛙状態になった俺は、しどろもどろに答えることしか出来ない。そんな俺の態度が気に食わなかったのだろう、先輩の唇から音と共に白い息が漏れた。

「ずっと思ってたんだけどさ、君、向いていないんじゃない。この仕事」
「……ははっ、ですかね」

 面白くも何ともないのに、笑いが漏れる自分が情けない。

 先輩は興味を失くしたように、俺から体ごと反らすと、駅に向って颯爽と歩き始めた。溜め込んでいた息を吐き出してから、先輩の後についていく。駅までは、あと少しだ。

 夜の繁華街は、色々な人がいる。
 飲み明かすために町を闊歩する人。サンタの服装に身を包みながら、誰かに絡む人。大きな声で破滅を叫ぶ人。声高らかに歌う人。人々の興味を集めようと両手から花を咲かす人。色々な人が、声を上げて叫んでいる。

 だけど、先輩と一緒に歩くと、この賑やかな音も心に響かない。

 人とぶつからないように、そして先輩とはぐれないように、ただただ一心に歩いていく。

 そして、ようやく駅の改札口の前まで辿り着いた。多くの人が、自分の目的地に向かおうと、黙々と定期をかざしていく。
 先輩も自分の鞄の中から、定期を取り出した。

「じゃあ、また来週」
「はい。お疲れさまでした」

 先輩が人波に紛れ、ピッという電子音が鳴るまで、頭を下げ続けた。先輩の気配を感じなくなったので、顔を上げると、改札に背を向ける。

 そうして、俺の長かった一日は、終わりに近付いていく。残されたやるべきことは、駅から徒歩十五分ほどの1Kのアパートに帰るだけだ。
 再び繁華街の騒音をBGMにして、道を歩いていく。笑い声や歌声が耳に届くが、見向きもしない。足を止めたいと思うことすらなく、ひたすらに進んでいく。

 先ほど言ったことを、修正する必要がある。

 先輩と一緒に歩いても歩いていなくても、誰かの楽し気な声は、俺の心には響かない。
 ただ寂しさが一層募るだけだった。

 冷たい風が、身も心も撫でた。寒さに耐えるように、ポケットに手を突っ込んで、背中を丸める。何にもない1Kのアパートに向かって、一心不乱に足を出す。何もない部屋だけど、無機質なエアコンで暖を取ることくらいは出来る。

「……早くあったまりたいな」

 いつの間にか、耳に届く音がずれるようになっていて、いつしか何の音も響かなくなっていた。自分の歩く音さえも聞こえない。

 ああ、またあの感覚か。

 いつの間にか耳に届く音がずれるようになっていて、最終的には何の音も響かなくなっていく。自分の歩く音さえも聞こえない。

 こういう時は、全ての感覚をシャットダウンして、布団の中で丸くなって眠るに限る。
 そうしなければ、言葉に出来ない衝動に自分が襲われてしまうことを分かっているからだ。

 ふらつく足取りと、朦朧とする意識を抱えながら、なんとか家に向かった。

――②へ続く

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