[連載小説]ベルの訪れ、宴は遠く②

ベルの訪れ、宴は遠く①

 ***

 ここでちょっと、昔の話をしよう――。

 自分で言うのも変かもしれないが、昔の俺は純粋な人間だった。友達の軽い冗談も冗談と受け取ることが出来なかったり、誰かに助けを求められたら後先考えずに手を差し伸べる。人が喜ぶ顔を見るのが、好きだった。そんな風に、人を疑うことを知らない子供だった。
 周りからはよく、気の利いた優しい奴だと言われていた。

 その性格は、社会に出た後も変わらなかった。

 初めて入社した会社では、今の営業職とは違って、クリエイティブな仕事をしていた。誰かが自分の考えたことで喜んでくれることに、とてもやりがいを感じたからだ。

 俺は持ち前の性格を活かして、頭に浮かんだ構想を惜しみなく言葉にしたり、悩んでいる人には声を掛けたりしながら、仕事に臨んでいた。休みの日だって、何かを目にする度に仕事に還元できないかと考えていた。とにかく自分の限界もかなぐり捨てて、全力で仕事に打ち込んでいたのだ。
 それが、会社の役に立ち、周りの役に立ち、巡りにめぐって自分に還って来る。そう信じてやまなかった。

 実際、俺は会社の中でも一目置かれていたように思う。周りの皆は、「佑真ぁー」と俺を頼るに声を掛けて来た。

 だけど、ある日、事件が起こった。恐らく周りにとっては、すぐに忘れてしまうくらいにどうでもいい出来事だけど、俺にとっては人生を揺るがすような一大事件だった。

 その時は、会社全体を上げた事業に取り組んでいた。社運を賭けたこの事業に成功すれば、会社の経営は更に堅固となり、また功労者は出世コースを歩むことが出来ると言われていた。みんな目を輝かせながら働いた。俺も更に力を入れて仕事に臨んだ。
 もちろん俺が興味があったのは、出世の方ではなく、事業を成功させて会社を大きくすることだった。会社を大きくすれば、多くの人に更に良質な娯楽を届けることが出来ると思っていた。

 今までのノウハウを活かして、力を合わせれば、何でも出来る。
 みんなも同じ思いをして働いている。

 そう思っていたのに、どうやらそれは俺だけの思い過ごしだったようだ。周りの考えは違っていた。

 先輩や同僚の興味は、出世にしかなかったのだ。俺が出す意見は、コストとか再現性とかそれっぽい意見で否定されて、悉く却下された。却下されるならまだしも、酷い時は取り合おうともしなかった。そのくせ、裏で俺の意見を聞いては、あたかも自分が思いついたように提案する。俺の意見のいいところだけを取ったそれは、名前を変えて、どんどんと上に展開されていく。

 ここまで来れば、人を疑わない俺でも分かる。

 裏切られた。利用されるだけ利用されて、自分の昇進に邪魔になった瞬間捨てられた。

 周りの同僚にだけではない。いいことをすればいいことが還って来る、そう子供のように純粋に信じ切っていた自分自身にも裏切られた。
 社会はそう甘くない、と叩きつけられたような気分だった。

 いつしか俺は、会議中に発言をしなくなっていた。誰かに個人的にアイディアを求められても、何もないと首を横に振った。

 朝起きて、出社して、適当にキーボードを叩いて、退社して、寝る――。自分が何もせずとも、ある程度の給料は貰えるのだと割り切れば、なんとか耐えることが出来た。
 だけど、なんとか耐えることが出来ただけで、心身は限界を迎えていた。

 裏切られた会社に足を運ぶ度、胸が締め付けられるように痛み、思考も上手く回らなくなった。水に流して忘れようと思っても、鮮明に先輩や同僚の顔が浮かび上がってしまうから、忘れることは叶わなかった。

 ここまで自分が弱く脆い存在だということに、生まれて初めて気が付いた。

 どんなことがあっても、それが人のためになって、いつしか自分のためになるのならと思えば、最後まで行なうことが出来たはずなのに。

 自分が痛みを受けることで、俺はようやく自分の本質に気が付いた。
 俺は純粋なんかじゃなかったのだ。気が利くわけでも、優しいわけでもない。ただ自分が傷つくことを恐れていただけだ。だから、誰にも非難されないような、純粋な優等生であろうとした。

 しかし、今は違う。

 誰からも認められる優等生という立場が、周りとの確執になってしまい、逆に仇となってしまった。

 会社の端っこのデスクで、ぼんやりとすることに、何も感じなくなって来た。心に浮かぶ思いは、どこかで似たような経験をしたことがあるな、ということだった。どこだっけ、と考えている内に、すぐ答えに至った。

 ああ、そうだ。まだサンタの存在を純粋に信じることが出来た、子供の頃に似ているんだ。

 幼稚園くらいまでは誰もが純粋に信じられたものも、小学校に上がり、高学年になるにつれて疑いの目を持つようになる。だけど、直接的に指摘されるまで、俺は信じていた。人に笑顔を届けるサンタに憧れに似た感情を抱いていた。
 けれど、中学校に上がったくらいのタイミングで、サンタを信じていることを揶揄されるようになった。心の最奥に隠していた一番大切な宝物を、強引に引きずり出されて、強引に壊された気分を味わった。これ以上自分が傷つくことを恐れ、周りに合わせるようになった。

 胸に疼く不満感を抑え、何も感じなくなるまで、長い時間を要した。

 あの時と、似ている。
 信じて、裏切られて、でもまだ信じたくって、挙句は馬鹿にされて。
 昔も今も、俺の根底は変わっていない。

 だけど、そんな子供の頃と今とで違うこともある。

 サンタを純粋に信じていた、あの頃の感覚なんてもう思い出せないということだ。今になると、本当に信じていたのか疑わしいほどだ。

 急に、この会社に留まり続けることが虚しくなって、俺は逃げるように辞表を出した。

 それから、何年か引きこもりのような生活を送って、なんとか今の会社に転職することが出来た。

 だけど、まだあの時の傷が、完全に癒えたわけではなかった。
 裏切られたあの日から、自分から行動することが出来なくなった。更に、誰かを信じ、誰かのために行動することも出来ない。

 一番決定的に違うのは、いつも胸の左奥あたりに違和感が走り、更には耳が遠くなり音の感覚がなくなるようになったことだ。
 まるで世界と自分はズレているのだと突きつけられているかのようだ。

 元凶となるあの場所を離れた今となっても、もう調子が良かった時の感覚なんて分からなかった。
 力を出したくても出せない。笑うってことが分からない。今どうしてここにいるのだろう、という疑問が、頭から離れない。

 このことは、誰にも打ち明けたことはなかった。

 誰かに心配を掛けたくないから――、いや違う。もっと醜悪だ。周りから、俺は駄目な人間だと烙印を押されたくなくて、この思いを吐露することなく、無理やりに口角を上げる。口角を上げる度、ずっと頬に凍てついた感覚がこびりついて離れない。そして、その冷たさは、頬から全身に走り、まるで凍傷のような痛みを与えて来る。肺も固まっているように、息をするだけで胸が痛んだ。

 この内に宿ったもの全てを吐き出していいなら、とっくに吐いている。心理的にも、物理的にも、吐き出してしまいたい。

 けど、こんな窮地に追いやられた時だって、俺は哀しいほどに世間体を意識してしまっている。

 だから、俺に出来ることは、ただひとつしかなかった。

 このズレに終わりが来ることを願いながら、いつ終わるかも分からない痛みに耐えて、今日も生きていく――。

――③へ続く

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