[連載小説]ベルの訪れ、宴は遠く④

ベルの訪れ、宴は遠く①

ベルの訪れ、宴は遠く②

ベルの訪れ、宴は遠く③

***

 まだ空は、夜と夕の曖昧な色に染まっている。
 時間はもう少しで十七時になるといったところか。俺の会社の定時までは、残り一時間ほど。午後の時間を丸々サボってしまうのは、初めてのことだった。しかも、一人で寂しくサボるのではなく、他人の路上ライブを見届けようとしているのだから、尚更初めての経験だ。

 俺の視線の先では、今日初めて会話を躱したエンドーさんがライブをするための準備をしているところだった。

 ――ねぇ、今時間ある?

 そうエンドーさんに問われて「あると言えば、あるけど……」と返事をしたところ、「じゃあ、少し時間は早いけど、これからお披露目するよ」と返され、俺は首を横に振ることが出来なかった。

 友達ならまだしも、出会って間もないエンドーさんのライブを聞くことになるなんて、いったい誰が予想することが出来ただろうか。

「……」

 仕事終わりの人々の喧騒によって、少しだけ賑わい出した繁華街で、エンドーさんは堂々とギターを構えて立っている。横切る人は何事かとエンドーさんを見つめるが、すぐに自分の道へと戻る。
 俺も直接声を掛けられていなかったら、エンドーさんの動向を見守るようなことはせず、さっと流し見をして自分の道に戻っていただろう。

「……何をするつもりなんだ?」

 少しばかりエンドーさんの動向が気になっている自分がいた。エンドーさんの一挙手一投足に目を離すことが出来ない。

 そして、全ての準備を整え終わったのか、エンドーさんは右腕を大きく上げると、胸を膨らまして息を吸った。

 肺へと溜めに溜めた息を吐き出すと共に、

「めんどくさいもん、全部ここで終わらせよう!」

 繁華街中に響くのではないかと思うほどの大声と共に、力強く腕を振り下ろしながらギターを鳴り響かせた。
 道行く人は、突然の音に皆振り向いた。分かっていたはずの俺も、大きく目を開かせる。

 エンドーさんの指から奏でられる音。
 それは、先ほどの叫びとは相反するような、大人しめで、それでいて何かが始まるかもと期待を彷彿させるような――、そうクリスマスを想起させるメロディだった。

『クリスマスの訪れを告げるベル
 その音に、僕らの心は弾む
 楽しい宴に、僕は飛んでいく
 ベルを鳴らしたヒーローがここにいる』

 実際、エンドーさんの歌にも、クリスマスという単語が散りばめられていた。聞いたことのない歌詞だから、きっとエンドーさんオリジナルだろう。

 だけど、歌詞やメロディよりも、琴線に触れるものがある。物騒なことを叫んでいるくせに、エンドーさんの声帯はこの世のものとは一線を画しているのだ。クリスマスソングと相まって天使みたいに思えた。

 繁華街を歩く人みなが、エンドーさんの声に興味を抱いたわけではない。けれど、エンドーさんに惹かれた人は、足を止め、会話を止め、ただただ聞き浸る。

『だけど、今宵の君は見ているだけ
 ジングルベルと踊る君は、ここにはいない
 ベルから離れた場所で、君は一人雪を見る
 この賑やかな音は、君には届かないだろうか』

 曲調が転じた。Bメロに入ったようだ。

 歌詞の情景は、ありありと思い浮かんだ。だって、その歌詞は、まさしく俺がいつも目の当たりにしている世界だからだ。周りを気にすることなく楽しめるはずのパーティーも、俺は素直に楽しむことが出来ない。 
 俺は自分の世界を抜け出して、華やかな世界に足を踏み入れることは到底出来ないだろう。そういうことに適した性格ではないことを、自分が一番知っている。

『――合うさ
 権利はすでに君の手の中
 ジングルベルを聞く者すべてにあるのさ』

 いつの間にか突入していたサビも、終わりを迎えてしまったようで間奏に入っていた。

 エンドーさんが紡ぎ出す世界に入り込み過ぎていて、一番盛り上がる肝心のサビを聞き逃してしまったようだ。ちゃんとエンドーさんの歌を聞いていた人は、心なしかウットリとした表情に見えた。

「……ふっ」

 思わず自分自身に嘲笑してしまう。

 いつもそうだ。間が悪い、というか、大事なところで失敗してしまう。俺は俺なりに真剣に取り組んでいるのに、周りの反応とは大幅にズレが生じるようになっている。

 間奏を経て更に盛り上がっていく曲調を前にして、一人置いて行かれるような気分だ。せっかくエンドーさんが時間を早めてパフォーマンスをしてくれている、というのに。

 あれだけ響いていた音が遠のいていく。あの感覚が来てしまうのか。申し訳ない思いを抱きながら、エンドーさんを見た。

 すると、エンドーさんとパタリと目が合った。エンドーさんはどこか勝ち誇った笑みを浮かべると、

「自分自身に負けるな!」

 先ほどの繊細さを彷彿とさせるような歌声とは異なって、豪快に声を響かせる。

「全部終わらせよう! 諦めるな!」

 ギターを鳴らしながら、エンドーさんが真っ直ぐに叫ぶ。その声は、聞く人の魂に響かせようとせんばかりだった。エンドーさんの声は、ハッキリと俺の耳に届いた。あの感覚は、どこかへと行ってしまったようだ。

 そして、エンドーさんは首元に巻いていたマフラーを取ると、バッと空に向かって放り投げた。空高くに放り投げられたマフラーは、ひらひらと地面に落ちていく。マフラーを一切気に留めることなく、エンドーさんは音を奏でることだけに集中している。

『クリスマスの終わりを告げる音
 その音に、僕らの心はしぼむ
 楽しい宴だって、終わりが来るものだ
 それでも、ベルが鳴り続けることを願うだけ』

 続けて、二番のAメロと共に、エンドーさんが歌う。一番とは違って、祭りの後のような歌詞だった。その歌詞を、俺は更に痛いほどに共感してしまった。

 俺はずっと願っていた。
 子供の頃に信じていたサンタも、理想を抱きながら取り組んだ仕事も、終わらせたくなんてなかった。

 けど、夢は脆い。いつか、現実にぶつかって、簡単に崩れ落ちてしまう。
 そのことは、誰もが分かっている事実だ。この事実を覆せる人なんて、ほんの一限りの実力がある人だけだろう。

 しかし、想像してしまうこともある。

 あの時もしも。
 最後まで自分の意志を曲げなければ。もしくは、自分が思っていたことを、少しでも打ち明けることが出来たなら。
 自分が信じた道を、最後まで信じていたら、未来は変わっていたのかな。

 でも、もう遅い。今更だ。俺は何も変わらない。

『遅いなんてことはありはしない
 この宴が終わっても、まだ間に合うさ
 勝利はすでに君の心の中
 ジングルベルを願う者すべてにあるのさ』

 まるで俺の心を見透かしたかのように、エンドーさんがハッキリとサビを歌い切る。
 正直に言えば、歌詞はよく分からないところも多い。ベルを勝手に鳴らしたところで、クリスマスがずっと続くはずがない。

 けど、背中を押されているような気になるのは、どうしてだろう。
 エンドーさんのパフォーマンスに、目も、耳も、心も、離れない。

 俺はエンドーさんが作り上げた世界にいる『君』に感情移入をしてしまっている。『君』がどうなるか、知りたかった。

 息をつく暇もなく、ラストのサビに転じていく。エンドーさんの弦を引く力が、どんどんと強くなって、熱を帯びていた

『勝てないなんてことはありはしない
 この宴が続くために、君だけのベルを持とう
 ベルはすでに君の目の前』

 仮にベルを手にしたとして。俺だったら、鳴らす勇気があるのだろうか。

 俺は今まで人に合わせて生きて来た。内側に宿る本当の思いを、誰にも吐露出来ずに生活した。誰かに変な目で見られることが怖かったからだ。

 周りの空気に逆らって、一人でベルの音を響かせることが本当に――。

『ジングルベルを鳴らす力がないならさ
 僕が鳴らしてクリスマスが続くことを願おう』

 その歌詞を聞いて、呆然とする。しかし、それは束の間だけで、

「はははっ!」

 俺は笑っていた。何だよ、そのデタラメな歌詞。腹の底から笑いが込み上げて来る。

「……強引にも程があるだろ!」

 こんなにも腹を抱えて、目じりに涙を浮かべて笑うのは、いつぶりだろう。

 いつも誰かの助けを借りずに生きて来た。人に迷惑を掛けたくないと思っていたからだ。そのくせ、自分が迷惑を被ることは顧みず、必死に誰かを助けて来た。
 それが正しいと信じて生きて来た。

 けど、エンドーさんは歌の中で、違うと言う。『僕』がやると言う。

 そうか。俺も誰かに委ねれば良かったんだ。出来ないことは一人で抱え過ぎずに、一緒にやればいい。答えは簡単だったんだ。

 自分の中になかったデタラメな理論に、そして今までその簡単な理論に気付かなかった自分に、いっそのこと清々しい気持ちになった。

 息が苦しい。だけど、これは今までの苦しさとは違う。
 終わりを届けたい、と言っていたエンドーさんの言う通り、あれほどもがき苦しんでいた痛みに終わりが来た。この時だけの一過性のものかもしれない。
 だけど、それでも終われるんだと思うだけでも、俺にとっては大きく大きな成果だ。

『ベルを鳴らせば誰もがヒーローだ』

 エンドーさんが最後まで歌い切ると、ちらほらと拍手が響いた。

 俺にとっては自分の考えを転換するようなパフォーマンスだったが、当然ながら、そう感じる人も感じない人もいる。
 実際、その場に足を止めていた人の数は両手で数えられるくらいで、余韻が冷めると動き出していた。

 拍手の音も小さく、しぼんでいく。

 けど、俺はあえて惜しみなく手と手を合わせ、音を響かせた。エンドーさんは俺に視線を向けると、まるで運動会で一着を取った子供のように、汗を頬に伝わせながら口角を上げた。

「――ぁ」

 エンドーさんの充実した顔を見て、脈絡もなく思い出したことがあった。

 俺が中学生の頃までサンタを信じていた理由だ。
 誰かを笑顔にするようなプレゼントを届けるサンタに、俺は憧れを抱いていたんだ。その憧れは、いつしか自分もそのような立場になってみたいと思うようになっていた。

 だから、周りの人に対して助けになるような接し方をしたし、思いを形に出来るようなクリエイティブな仕事が出来る職業にも就いて、色々と模索した。

「ははっ」

 今まで何もないと思っていた自分自身に、少しだけ希望が見えて来た。

 答えは単純だったんだ。たぶん俺の根本は変わっていない。

 エンドーさんがふっと視線を反らすと、そのまま俺に声を掛けようとすることなく、機材の片付けに取り掛かった。まるで自分の役目が終わったと言わんばかりの態度だ。

 それで、よかった。
 もう言葉は必要ない。エンドーさんが何を終わらせようとして、パフォーマンスをしているのか、身に染みて分かった。

 満足感を胸に抱え、ひとまず会社に戻ろうと決意して振り返ったところ――、

「……なんで、いるんですか?」

 いつからそこにいたのか、国木田成美先輩が立っていた。いつも通り自分の意志を貫くような、真っ直ぐとした瞳。いつもなら引けを取りたくなる視線だけど、今日の俺は視線を逸らさない。
 先輩が何を言おうと、全てを受け入れるつもりだ。

「営業の帰り道。会社に向かって歩いてたら、真剣な表情であの子のこと見ていたから」

 エンドーさんを見ている姿を、俺はずっと見られていたということか。少し恥ずかしくなる。

 先輩はゆっくりと自分の右頬に人差し指をあて、「堀井、そんな風に笑うんだね」と、なんてことのないように言った。

 転職して先輩と知り合ってから五か月ほど経つけれど、俺が知る先輩は、いつも他を受け付けないような我を進むような振る舞いを取っていた。
 だから、今この瞬間、初めて先輩が微笑む姿を見た気がした。

 自分を打ち明ければ、相手も打ち明けてくれる。

 人を信じることに臆病になった俺は、一歩を踏み出すことが出来るだろうか。胸がドキドキと高鳴っていく。

 ――諦めるな!

 背中を押してくれたエンドーさんの声が、頭の中に力強く響く。

 俺を閉じ込めていた壁は、エンドーさんが取っ払ってくれた。自分を落ち着かせるために、細く息を吐く。

「……先輩。色々提案してみたいことがあるんですけど」
「うん。堀井が考えていること、全部聞かせてよ。なんか面白そうな予感がする」

 期待の眼差しを浮かべながら、先輩は頷いた。

 そのまま俺と先輩は、会社がある方角に向かって歩き出す。息苦しさは、今は感じない。

 夜の繁華街に、目を閉じてしまいたいくらい眩いイルミネーションがキラキラと輝いている。その光と一緒に存在感を放つ人々によって、繁華街の音が形作られていく。
 そんな町中を、先輩と一緒に隣に並んで歩く。

<――終わり>

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