[小説]変化するためのミッション④

変化するためのミッション①

変化するためのミッション②

変化するためのミッション③

 ***

 ――無理しとらんか?

 翔真の声を聞いて脳裏に過ったのは、やはりこの九か月間の出来事だった。

 上京してから最初の洗礼は、あまりの人の多さによる人酔いだった。止まらない人の波に、吐き気を催した。何度か遊びに来たり、受験もしに行ったのに、これから一人で暮らすというプレッシャーから襲い掛かったのだろう。その現象は大学の入学式でも同様に生じた。人の多さに当てられた俺は、体力的にも気力的にも疲れを感じ、自分から話しかけることが出来なかった。俺が躊躇っている間に、周りの人間関係は当然構築されていく。気付けば出遅れてしまった俺は、憧れだったキャンパスライフを共に謳歌できるような人には巡り合えなかった。校内では基本一人、コンビニのバイトでは淡々と接客するだけ。誰かと深く関わらず、誰かと繋がることが出来るギリギリのライン。そんな希薄な人間関係を保つための処世術だけが、上京してから得たものだと言っても過言ではない。

 だから、取り繕うのは得意になったつもりだった。けど、本当は人と関わる機会が極端に減ってしまったから、自分のことは分からない。

 上手く隠したつもりだったのに、すぐにバレてしまったことに対する憤りが、何故か胸中に湧いた。

「――無理なんて……、しないわけにはいかねーんだよ」
「んぁ?」

 囁くように言った言葉は、翔真には聞こえなかったようだ。

 ここで怒ったって、八つ当たりだ。それくらい、興奮する頭でも分かる。頭を冷やすためにも、一度目を瞑り、息をゆっくりと吐いた。

「悪ぃ、今のよく聞こえなかったけ。なんて言うたんじゃ?」
「……いや。俺は東京で楽しくやってるよ、って言ったんだ」
「そうけ。なら、ええんよ。里志が無理せずに楽しくやってるんなら、それでええ。悪かったのう。帰る言うてたのに、変なこと言うてもうて。次いつ言えるか、分からんかったけ。ここで言わないと後悔しそうな、そんな予感がしたんよ」
「……俺は昔からどんなこともやる奴だろ」
「うわははははっ。そうじゃけ。杞憂だったわ」

 どこまでも明るく翔真は笑う。けど、その底抜けに明るい笑い声は、空に虚しく解けて消えた。「さぁ、帰ろうじゃ」、とまるで明日も会えることを疑わないかのように、軽く言い放つ。それが、翔真の気遣いだということは分かっていた。

「……」

 俺のことをここまで心配してくれる奴なんて、どれだけいるのだろう。

 風巻翔真は、自分が傷つくことを恐れずに、深く足を踏み入れて来る。本音を言うことにも、必要であるのなら躊躇うことはしない。
 少なくとも、俺に対して真剣にぶつかってくれる人は、上京してから一度も出会ったことがない。

 いや、人のことを言う前に、俺自身どうなんだろう。いつしか本音を言うことは出来なくなっていた。……いつしか、なんて嘘だ。上京してから、思い描く自分と本当の自分があまりにも異なっていて、自分自身に恥ずかしくなってしまった。大言壮語した挙句、何も出来ていない自分が、ちっぽけに見えて仕方がない。

 だから、俺は嘘と見栄で自分を包まなければならない。

「里志?」

 立ち尽くす俺を気に留める翔真の声音は、優しい。

「なぁ、そんな無理してるように見えるか?」

 気付けば、俺はそんな質問をぶつけていた。言ってから、自分で何を言ってるのだろうと後悔する。一度出した言葉は、戻らない。弱音を出したことが恥ずかしくて、コートのポケットに手を入れて、「……何でもない」と襟元に顔を埋める。

「見える」

 迷いなく翔真は言った。

「顔つきも目つきも、東京に行く前の里志と全然違うけ。だからこそ、心配なんよ。……じゃけ、里志が大丈夫言うなら深くは突っ込まん」

 普段は底抜けに明るいくせに、人の心の機微を敏感に察するのが翔真だ。翔真が人の嫌がっていることを行なって、傷を抉る姿なんて、今まで一度も見たことがなかった。

「……はぁ、もういいや」

 溜め息交じりに言った言葉。翔真の頭の中で、疑問符が浮かんでいるのが伝わって来た。「ええって、何がじゃ――」と言い終わる前に、俺は言葉を重ねていく。

「俺は東京に行っても、何も出来ていないんだ。大学でも一人、家に帰っても一人。一人でやることと言えば、ただネットを見るだけさ。さっき翔真に言ったことは、全部嘘なんだ。俺の中で、こうなったらいいなっていう、願望なんだ……」

 ネットで齧った知識だけが、頭の中に入っている。だけど、それは手にすることは出来ず、とても空虚なものだ。

「すっげーじゃ」
「は?」
「いや、だから、里志はすっげー言うたんじゃ」
「……今の話、聞いてたのか。俺は何もしてないんだぜ?」
「そんなことないじゃろ。この田舎から東京に適応するために、里志が頑張ったのは分かるけ。口調だって完全に標準語になっとるし、服装だって学ランとジャージしか着ていなかったのに変わっとる。でもな。何よりもすげー思ったんは、そんなに自分が出来ていないと認めているくせに、東京から逃げんかったことじゃ。やっぱり里志は昔からすげー奴なんよ」
「……昔から?」

 翔真は屈託なく「おう!」と言う。

「東京に行くって決めたら一人でも行っちまうし。俺にはこの町を飛び出して、東京に行こうという考えすら浮かばん。もちろん、それだけじゃないけ。他にも、小中高で里志のやったことを挙げれば、キリがないくらいなんよ。その行動力は、本当に尊敬しとる。……けど、少しだけ寂しかったんじゃ。これ、俺の本音じゃ」

 翔真の言う通り、俺は上京することを一人で決めた。俺が周りに伝えたのは、事後報告だった。しかも、卒業する前日くらいの急な話。
 俺は俺のことだけに必死になっていて、残される人の気持ちを考えていなかった。翔真と話すことで、約九か月ぶりに気が付いた。
 どれだけ傷つけてしまったのだろう。

「……ごめ」
「今までは準備期間やったんじゃ」

 俺の謝罪を遮るように、翔真が大きく腕を振る。翔真は自分の感情よりも、俺がやることを後押ししてくれているんだということが、今なら分かる。今も昔も変わらず優しくて、けど昔よりも遥かに人間としての器が出来上がっている。

「東京に適応するための、大切な時間じゃったんよ! 知っとるか、赤子も母親の胎の中で、十か月間準備するけ。それと同じなんよ、里志は!」

 その発想はなかった
 当の本人である俺は何も出来ない現状に、何かするわけでもなく、ただ嘆くだけだったのに。
 翔真は、俺が過ごした時間が無駄ではなかったと言ってくれる。

 言った本人は、自分の発言に納得していないのか、「ん? なんかちょっと違うか……」と一人首を捻っていた。

 だけど、すぐに「まぁ、細かいことはええんよ」と切り替えると、

「里志なら、これから新しい姿に変わることが出来るってことじゃ!」

 最後の最後、結局はゴリ押しか。だけど、底抜けに明るい翔真らしい。俺は胸の奥に光が灯るのを感じた。俺の表情を見た翔真が、ニヤリと口角を上げる。

「じゃけ、勝負や」

 翔真が、俺に向けて人差し指を突きつけた。その瞳は、真っ直ぐだ。いや、そんな真っ直ぐに「勝負」って、何を言っているんだ。

「この町を里志が帰って来たくなるくらいにデカくするけ。だから、里志はデカくなった町に相応しいくらい、大きな人間になって帰って来るんやよ!」
「なんだ、それ。本当に出来ると思ってんのかよ」

 この小さな田舎町が、変わるとは思えない。上京して大きくなる、という漠然な夢を持っていた俺よりも、あまりにも大きすぎることを語る翔真を、俺は笑った。

 だけど、

「知らん!」

 俺の想いを一蹴するように、ハッキリと言う。

「言うのは自由じゃ。じゃけ、俺は言う! それに、本気でやれば、結果は勝手について来るじゃろ」

 自分自身の可能性を、翔真は疑うことすらしていない。

 ふと俺は三が日のことを思い出した。あえてネット上で宣言することで、後に引けない状況を作ろうとした。それは叶わなかったけど、やりたかったことは翔真と変わらない。いや、今からでも遅くないかもしれない。

「あとな。俺、この町が好きだから、一人でも多くの人に足を運んでもらって、くつろいでもらえるような場所にしたいんじゃ。それが、俺の夢じゃ」

 初めて聞いた翔真の夢。だけど、それを嗤うことはしない。

「じゃからさ。いいな、里志。勝負じゃけ!」

 再び指を突きつけてくる。思わず、俺は腹の底から笑ってしまった。「な、なんじゃ?」翔真は指を降ろして、先ほどの威勢はどこへやら、おどろおどろしく振る舞う。 

「本当、お前は昔から漫画みたいなこと言うよな」
「どこが。カッコイイことなんて、何も言うとらんじゃろ」

 そういうとこだよ、と言葉にするのは恥ずかしくて、俺は肩を軽くぶつけた。一瞬、翔真はポカンとしていたが、すぐにニヤリと歯を見せると、俺の肩にぶつかり返して来た。

「のぅ、いつもの分かれ道までどっちが早く着くか、久し振りに勝負しようじゃ」
「勝負って……、さっき別の約束したばかりだろ」
「それはそれ、これはこれじゃ。んじゃ、始めるけ。よーい、ドンッ!」

 合図と同時、翔真は走り出した。うわっ、翔真の奴、本気で走りやがった。しかも、ずっと走り込んでいるから、マジで速い。あっという間に、翔真の姿が小さく見える。

 このまま放っておいたとしても、途中で俺が走っていないことに気が付いた翔真が、頬を膨らませながらブーブーと文句を言う姿が思い浮かぶ。だから、別に律儀に勝負しなくたって良いのだ。

 だけど――。

「負けっぱなしは性に合わない――よなっ!」

 俺は一度唇を舐めると、一歩を踏み出す。冷たい風をものともせず、もう一歩踏み出してスピードに乗ると、勢いよく公園を飛び出した。

「おい、翔真! お前、毎日走っとるんやろ! ハンデ寄越し、ハンデ!」
「そんなん言うて、里志も十分走れているけ。ハンデなんていらんじゃろ。うわははははっ!」

 少しずつ近付いていく背中に叫べば、晴天に似合う清々しい笑い声が返って来る。

 空は青く、高い。道は広く、自由だ。

 東京の狭苦しいビル街とは違って、解放感がある。

 そんな田舎の道を、俺と翔真は童心に戻りながら走る。

 そういえば。こうして翔真と駆けっこをして家に帰った時は、扉を開けた途端に「ただいま」と息を切らしながら言ったものだ。
 実家に帰って扉を開けたら、まずは「ただいま」と言おう。そんな当たり前のことも、昨日言えていなかったことを思い出した。

――⑤へ続く

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