[小説]encore -アンコール-①

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 劇団セカイズは、今最も勢いのある劇団だった。

 セカイズが設立されたのは、今から八年ほど前。設立当初は知る人ぞ知る劇団だったのが、今では多くの人が知る劇団と化していた。
 人々の琴線に触れるような脚本、生き写しのように鬼気迫る演技を見せる役者、演劇の世界に引き込むような演出、まるで座った瞬間に吸い込まれるようなふかふかとした座席。セカイズのステージは、全て舞台を盛り上げるためにあった。

 セカイズの舞台を見た人々は、まるで別世界に導かれた気分だ、と口を揃えて感想を言っていた。そして、次に言う言葉も、お決まりとなっていた。

「セカイズでの主演を総なめしている北見多紀は、花形女優だ」

 北見多紀は、セカイズに所属してから一度も主役を逃したことがなかった。

 多紀はセカイズが設立されてから一年ほど後に入団したのだが、当初からその才能を発揮させていた。
 多紀の魅力は、豊かな感情表現にある。それらを取り込めた演技、そして演技力の高さを決定的に裏付けるような整った容姿。多紀が舞台に立った瞬間、空気は一変する。

 いつしか多紀を目当てにして、多くの人がセカイズに足を運ぶようになった。ネットニュースだけでなく、テレビのニュースの特集にも一回取り上げられたことがあった。それにより、多紀の人気に更に拍車がかかる。多紀のことを詳しく知らずに演劇を見た人々も、多紀の演技を目にすると、その鬼気迫る勢いに圧倒されてしまうことになる。気付かぬ内に多紀の虜になり、またセカイズの集客率も上がることはしょっちゅうだった。
 多紀の噂は、大手の芸能プロダクションの耳にも届くようになっていた。実際セカイズの舞台を目にしたスカウトも、多紀の演技に惚れ込んだ。そして、多紀に対して、次の新作で更なる演技を見せるならば銀幕デビュー、更にはドラマにもヒロインとして出演させることを約束した。
 その約束を聞いて、多紀の心は跳ね上がった。

「ようやく夢を叶えるためのスタートラインに立てる……っ!」

 むしろ、スカウトに声を掛けられた日の帰り道は、スキップをしながら鼻歌を口ずさみ、家に帰ってからも興奮冷めやらぬで、全然眠ることが出来なかった。多紀には珍しいことだった。けれど、それも致し方ないことだ。
 多紀の夢は、誰もが知る有名な女優になることだった。

 道行く人に「今のご時世、日本で誰が有名な女優か」と問えば、百人中百人が北見多紀だと答えるほどに有名な女優。そういう世界的な女優になることを、昔から夢見ていた。出来れば、後世にだって名を残したいほどだ。

 多紀がセカイズに所属するようになったのも、そのための布石だった。
 将来インタビューを受けた時、まだ無名にも近かったセカイズの名前を堅固にし、更にはセカイズでスターとして歩んだことを伝えれば、多くの人の好印象に残ることはおろか興味の対象になることは間違いない。そして、多紀の過去を調べ、更に興味を抱いてもらえるだろうと踏んでいた。

 だから、多紀にとって次の舞台が勝負だった。次の新しい舞台で最高の演技を見せることが出来れば、多紀の夢を叶えることが出来る。

 そのために出来ることならば、多紀は何でもしてみせると心に誓った。

「ねぇ、志乃」

 そんな最中の、ある日の公演後のことだった。

 セカイズに所属する新人役者の西野志乃は、多紀に声を掛けられるや「はい、何でしょう。多紀さん」と人懐っこい笑顔を浮かべて振り返った。一方、志乃と違って、多紀の表情はかなり硬いものだった。

「あなた、今日の舞台で一か所セリフとちったでしょ」
「ん、そうでしたっけ。私、間違ってなかったと思うんですけど」
「『じゃあね、みんな……』が、幕間に入る前に言うべきセリフだったはずよ。でも、志乃は『またね、みんな』と言った」

 多紀は志乃が言うべきだったセリフを諳んじる。脚本を読み込む際、多紀は普段から別の役者のセリフも覚えるようにしていた。特に、場の転換となるセリフの応酬は、今みたいに諳んじることが出来る。

 志乃が演じた役は、しっかりと名前もあり、舞台の中で大事なキャラクターだった。今のシーンも、二度と会えない悲しみを彷彿とさせるべきところなのに、志乃の台詞回しだと再会出来るかもしれないと観客に思わせてしまう。

 しかし、当の志乃本人はといえば、間違いを指摘されたにも関わらず何事もないように平然としていた。

 前述の通り志乃は新人ではあるが、見る者を明るくさせるような笑顔は、すでに一定のファンから人気を博している。多紀とは別の意味で、セカイズの観客の目を奪っていた。

「あー、その件ですか。確かに、セリフは変えましたね。でも、私のセリフの方が、より先の展開を気にさせつつ余韻を残して幕間に入れると思うんです」

 志乃は臆することなく自分の意見を言葉にした。
 自分の意見を貫く期待の新人か、融通の利かない生意気の新人か。多紀が志乃に下した評価は、後者だった。

「いい? 私の言う通りにして、私を引き立たせるように演技すれば、セカイズの舞台は成功するわ」

 志乃が何かを言う前に、多紀は志乃の前から去った。多紀の言葉が全く響いていないことは、志乃の表情を見れば容易く察することが出来た。次に見当違いのことを志乃が言ったら、多紀は自分の心がかき乱されることを察していた。

 役者に大切なのは、平常心だ。
 何でも受け入れられる柳のような平常心を持っていてこそ、そのキャラクターを理解する土台が出来上がり、そのキャラクターと一体化して感情を爆発させることが出来る。逆に心が乱されてしまったならば、邪心が入り込み、演じるべきキャラクターと一つになることが出来ずに平坦な演技となってしまう。

 そう多紀は思っていた。
 実際今までだって、そういう演技を貫いて来たから、結果もついて来たのだ。

 だから、今この大事な時期に感情を乱されるわけにはいかない。

 より一層、周りにも自身にもストイックにぶつかりながら、多紀は次の新作の脚本を渡されるまで胸を高鳴らせながら待った。

 セカイズが新作の舞台を準備する期間は、およそ三か月だ。役者達は、普段の舞台をこなしながら、空いた時間では新作の稽古に臨むことになっている。

 そろそろ脚本を渡されても良い頃だろう――。そう思っている内に、その時はやって来た。

 脚本が配られる時、多紀は脚本家と二人きりで一番初めに脚本を読むことにしていた。何かあれば、すぐに意見を出すためだ。
 だから、今回も同様だった。

 次の舞台の脚本を手がけるのは、南条世宇。セカイズの人気を裏付けている実力が備わった脚本家であり、そして多紀のことを一番に輝かせてくれる脚本家だ。多紀は何一つ心配していない。

 私は今回の舞台を通じて、もっと遥か高みに昇る――、多紀は一層決意を新たにした。

 演劇のタイトルは、『私の世界を覆す魔法』。

 多紀と世宇。二人きりの静謐とした空間に、紙を捲る音が小さく何度も響いた。

――②へ続く

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