聖霊様とは

聖霊様とは

聖霊様は女性神 天母
お母さんだからどれだけ惜しまずに与えてくれるでしょうか

 

聖霊様は
いつもあなたのそばにいる
とおっしゃる

 

聖霊様についての概要

聖霊。ヘブル語で言うと「プニョマ」。「風、息づかい、呼吸」というような言葉だそうです。風のように、息づかいのように、呼吸のようにはたらかれるという、そのような意味もあります。また、聖書を見ると、「聖霊は神様の霊」というふうに説明をしました。それで人々は、この「プニョマ」というその文字、そして聖書のその文字、これだけを見て、聖霊について解釈します。聖霊をよく知らない状態で聖霊を受けて、「聖霊の恵みだ、感動だ。」そのように言ったりもします。

私も以前の教会にいた時、聖霊が何なのかよく分からなくて、「熱いものなのか?『主よ~!』このように言うことなのか?」、そのようにばかり考えていました。

このプニョマ、聖霊についてどのように話しているかと言うと、「聖霊はある存在ではない。神様の心なのだ。神様の自体的な霊のことを言うのだ」と。また、この単語は中性名詞として使われるそうです。そして、複数として。つまり、両方を含んでいるという意味です。それで、神様、神様自体の霊として、男性でも女性でもない中性だ。これは複数で使われているので、中性というふうにみなしたりします。中性として、男性も女性も表すことができる、そのような表現をしたりします。

私はこのような教えを教会で受けて、その時から、「えっ、中性?私が信じている神様、聖霊様。神様、聖霊の存在が中性であるならば、ちょっとどうなのだろうか。」
天使も中性と私は学んだのです。どこに根拠をおいてこのように教えているのか、幼な心にとても衝撃的でした。

「神様はそのように存在しているということなのか?」もしくは、「神様の存在はない」という話もあります。「光として存在するのだ。」「えっ、じゃあ、光が神様なの?」

コリント13章9節以下「すべてのことを部分的に知っている。」部分的に分かっている。つまりは、ほとんど分かっていないという意味ですね。「完全なものが来る時には、その時、初めて部分的に分かっていたものを廃する」という御言葉があります。聖霊は神様自体の霊でもなく、神様の心でもなく、中性でもありませんでした。

「聖霊は神様と一体になって行われるけれども、その霊の体は、女性神として別途存在されている。中性として男性・女性を表しているのではなく、女性神として絶対的に存在しているけれども、その威力、その御力を見ると、時には女性のように、時には男性のようにはたらきかけられる」

「聖霊様、女性らしいとだけ考えてはいけない」と言ったのではないですか。「聖霊様は、はたらきは非常に女性らしくも、女性的でもあるけれども、強力で威力があって権勢がある」と、先生はいつも私たちに教えてくださいました。「聖霊様は女性神だけれども、女として見るのではなく、三位一体として考えて愛して生きていかなければいけない」と教えてくださいました。

三位一体は、神様、聖霊様、御子です。すべて一つの存在ではなくて、各位で存在しているということです。神様は霊体として男性として存在し、また御子も霊体として男性として存在しておられる。そして、聖霊様は霊体として女性として存在していらっしゃいます。

では、なぜ一体と表現するのか?
「霊の体が一つなのではなく、絶対的な御心によって一つになって一体になって行うということだ」と、私たちは細かく学びました。家の中でも、お父さん、お母さん、子供が、一つの体ではなくて別々にいるけれども、家庭のその思い、心と思いで一つになって行うということと同じです。

神様、家庭の家のお父さんのような存在として、創造目的と御心を持ってあらゆる御力を行う存在者。神様は御言葉通りにそのまま行う、御言葉の実体の存在者です。御子は家の息子のような存在だと学びました。地に遣わされた救い主(メシア)と一つになって天の御言葉を伝え、人々を救って治めます。
(2019.9.22主日礼拝の御言葉より)

 

聖霊様についての詳細な説明

<2019年9月23ー24日月曜日の明け方、主の御言葉>
人は<知らないでいたことを知る時>と<間違って思っていたことを正しく知った時>衝撃を受ける。

<待ちながら準備する時>は山のようにやっておいて、<実際その日が来た時>はあまりやらない。これが「弊害」だ。

<待っている時>は気が狂ったようにそわそわして待っておいて、<実際その日が来た時>は最初はしばらく狂ったように行なうけれども、現実が来て成されているのに、十分に、満足できるほど行なわない。

<聖霊様>は「実体、つまり本体」で存在し、行なわれる。

<聖霊>を「肉体」として見るためには、「聖霊が着て行なわれる肉体」を見ればいい。<神様と聖霊様と御子>は「この時代に遣わした愛の対象、キリスト」を着て行なわれる。

<聖霊>が「メシヤの体」を着て行なわれるから、<メシヤの内側>は「聖霊」でいらっしゃる。だから<メシヤの肉体>は「聖霊を現す実存体」だ。<その肉体>を通して「聖霊様」を見るのだ。

<聖霊>が来られたら、「真理」を悟らせてくださる。

<聖霊様>はその姿が美しくもあるけれども、「漂うイメージと感じ」がものすごい。美しさと権能と権勢を全て表す。

霊の世界では<美しさ>がすなわち「権勢」であり、「御力」だ。だから<霊体>を見れば「その権勢と御力」を知ることができる。

<聖霊様>も美しい分「権勢と御力」がおありだ。美しい分「全てのもの」を備えていらっしゃる。

<聖霊の御心>があり<目的>があれば、「本人が好きになるようにして」行なうようにさせる。その土台の上に「聖霊」が働きかける。

本人が好きなら、一人ででも喜んでどんどん行なう。

信仰も「自分が好きで」しなければならない。

<救い人>が「実体」として来た。だから<神様と聖霊様と御子>も「実体」として来ていらっしゃる。

<聖霊>と共に行なわなければ、「肉に属した人」になる。

聖霊様は、各自の心と考えに従って自分が好きで行なうようにさせる。しかし御心でないことを好きで行なおうとする時は、駄目にして行なえないようになさる。

人は「自分が願うこと」をするものだ。だから聖霊様は<御心のある方(ほう)>を願い、好きで行なうように導く。

<聖霊様>は「内的神」でいらっしゃる。例えば建築をする時も「外部工事」があり、「内部工事」がある。<外的工事>が「建物を建てること」ならば、<内的工事>は「インテリア」だ。<聖霊様>は「内部工事のインテリア」で働きかける。だから「外的な部分」より「内的な部分」で働きかけて、行なうようにさせる。

聖霊様は聖霊で生まれ変わり変化するように助け、働きかける。

聖霊様はやさしくて、より「具体的」でいらっしゃる。だから信仰も美しく手入れをしてくださり、装わせてくださる。

聖霊様は「美の女性神」でいらっしゃる。だから信仰も美的に一層手入れしてくださり、完成させてくださる。

今は<聖霊の時代、新婦の時代>だ。だから聖霊様は新婦たちを一層装わせ、つくり、完成させることをなさり、救い人を守って証し、救い人を通して御言葉を与えて、守って行なうようにさせ、行なうべきことを悟らせてくださる。

聖霊様は感動を与え、感動をしたら行なうように導く。

聖霊様は<各自の心>を導いてくださり、「自分が好きで行なうように」働きかける。

聖霊様は<心のハンドル>をきってくださり、「聖霊様の導き」によって行なうようにさせる。だから「自分が自ら行なうこと」と思われる時が多い。しかし<成された結果>を見たら「聖霊様の導き」で行なったということを悟るようになる。

ただ見たら<聖霊の啓示>なのか、<聖霊の導き>なのかよく分からない。だから平素いつも「聖霊と交通」しなければならない。「対話」しなければならない。そうしてこそ「聖霊が自分を通して行なわれたこと」をよく分かるようになる。

聖霊の御働きに留まるのではなく、聖霊に仕え、愛し、聖霊と一体になって生きなければならない。

聖霊に仕え生きてこそ聖霊様とよく通じるから、聖霊様がその時その時聖霊の御心どおりに導いてくださる。

 

聖霊様の力はお金では買えない

<青年部女性による記事>

「聖霊を受けたら、やる気が満ち溢れ、パワーが満ち溢れる!」と以前ブログで書いたが、他にも【聖霊】を受けたら様々な【御働き】が起こる。

その一つが【癒し】だ。

 

イエス様癒し

聖書には、イエス様が歩けない人の足を【癒し】たり、盲人の目を見えるように【癒し】たりなさっている様子が書かれているが、イエス様が【癒し】の御働きをなさる前には、まず【聖霊】を受けられている。

「天が裂けて、【聖霊】が自分(イエス様)に下って来るのをご覧になった。」(マルコによる福音書1章10節)

「人々は病人や悪霊につかれた者をみなイエスの所に連れてきた。」(マルコによる福音書1章32節)

「イエスは、様々の病を患っている多くの者を【癒し】、また多くの悪霊を追い出された。」(マルコによる福音書1章34節)

【聖霊】を受けてイエス様がなさった、【癒し】の御働きである。

 

【聖霊の御力】、【お金】で買えるだろうか?

お金

 

聖書に、【お金】で神様の【御力】を買おうとした人がいる。

イエスの弟子ペテロとヨハネがサマリアの人々に【聖霊を受けるように】【祈る】と、人々が【聖霊】を受けた。

それを見ていたシモンという人物が、【お金】を出して、「私が手を置けば、誰にでも聖霊が授けられるように、その力を私にも下さい。」と言った。(使徒行伝8章14節~19節より抜粋)

 

彼は一体どうなっただろう?

 

その心が私欲で満ちて、神様の御前に正しくなかったから、当然【聖霊を与える力】は受けられなかったし、むしろ悪事を働いた者として許しを請わないといけなくなった。
(使徒行伝8章20節~24節より抜粋)

 

つまり、【聖霊】は【お金】で買えるものではないのだ。真実に清い心で神様の御前に進み出て祈る時に、神様から見てふさわしければ受けることができる、特別な【祝福】なのだ。

 

聖霊集会とはー実体験談

家庭局ママ

日本摂理で行われるようになった聖霊集会。
讃美して、御言葉を聞いて、祈って、熱い涙を流した聖霊集会。
毎回参加するたびに、私の考えをよりよい方向に変えてくださった聖霊集会。

日本で聖霊集会が行われるのを毎回とても楽しみにしています。

聖霊集会の前には??
聖霊集会の前には、日本摂理の教会がひとつになって、その日に向けてたくさんの準備をして臨みます。

21日、40日、70日のお祈りの条件をたてたり、聖霊集会に向けて新曲が発表され、毎日歌って覚えるなど、たくさん準備して当日を迎えるようになります。
準備した分、神様と聖霊様と御子は、たくさんの聖霊を降り注いで下さいます。

聖霊集会ではどんなことが行われるのか?
日本人の方は「聖霊」という言葉をほとんど聞いたことがないと思うので、「聖霊集会」と聞いてもあまりイメージできないと思います。 ?
私自身も、数年前、日本摂理で初めての聖霊集会に参加しましたが、聖霊集会では何をするのか、参加して何が起こるのか、まったく見当もつきませんでした。

基本的には、何曲か讃美して、御言葉を聞いて、祈って、最後に讃美をして終わります。
持てる力をすべて振り絞って、讃美をして、熱く祈るので、聖霊集会が終わった後は、
サッカーの試合に出て最後まで走りきったかのように、肉体は疲れ果てます(笑)

しかし、毎回、私の心には、喜びと感動が満ち溢れています。

「天国の世界、愛、喜びはまさにこのようなものだ」と毎回参加するたびに実感するしかありません。

「この時間がずっと続きますように」と毎回切実に思っています。

聖霊集会に参加して得られるものは何でしょうか?
聖霊集会に参加して得られるものは、人それぞれ違うので一概には言えません。

ある人は、普段お祈りが深く出来なかったけれど、聖霊集会に参加して深く祈れるようになった。
ある人は、讃美の歌詞に感動して、自分の命の価値を悟ったという人もいらっしゃいます。

私が聖霊集会に参加して、得たものはたくさんあるのですが、いくつかあげてみます。
考え方が肯定的になること!
自分がどれほど貴重な存在なのか知ることが出来る!
讃美をしているときも、御言葉を聞くときも、祈るときも、私達を創造なさった聖三位の神様、聖霊様、御子が自分をどれほど愛してくださっているのか、その愛を実感するしかありません。

過去、人生を生きてきた中でつらかったこと、誰にも言えなかった自分の心の奥底にある「自分の本音」を、神様に告げることが出来ました。
お祈りの中で神様にたくさん告げて、今まで解決できなかったことをたくさん解決していただきました。

チョウン牧師が、先生が教えてくださった御言葉を口から火が出るように熱くのべ伝えてくださって、その後の祈りの時間では、私たちが熱く深く祈ることが出来るように導いてくださいます。

祈りの時間がとにかく熱いです!!!

毎回お祈りするときは、最初から最後まで涙が止まりません。
最後は神様の熱くて温かい愛によって、心が癒され、大きな感動に包まれています。
普段の生活の中では、なかなか涙を流すことはありませんが、聖霊集会の時には自分でもビックリするくらい、熱い涙が流れ出ます。

御言葉を聞くとき、祈るとき、特に聖霊様が強く働きかけてくださっています。
感動を与えてくださり、心を新たに出来るようにしてくださり、聖三位と主の愛を一層深く悟らせてくださる聖霊様です。

聖霊集会後、生活の中でどうするかが本当に大切です!
聖霊集会で受けた感動、決心がそのまま冷めずに続けていくならばいいのですが、続かないことももちろんあります。
しかし、そのとき受けた聖霊の力によって、たくさんのエネルギーを受けて、前進することが出来ます。
そのときだけで終わらず、得たものを生活の中で続けて生かしていくことが本当に大切なことですね。

初めて摂理の聖霊集会に参加する方々もいらっしゃると思いますが、みなさんに必要な聖霊をプレゼントしてくださると思います。

一つアドバイスをするならば、少しでもいいので祈ってから参加してほしいと思います。

自分も聖霊を受けてもっと新しく変化していきたいです。
次回、日本で聖霊集会が開かれるのを心待ちにしています。?
みなさん一人一人をこの上なく愛して下さる聖三位と主の愛が満ち溢れることをお祈り致します。

 

摂理の女子大生

摂理の女子大生は聖霊運動が大好きです!

なして?

それは元気がでるから!笑

 

特に最初は…というか、最近まではそれがどうしてかわからんかった
でもね【聖霊】に関する御言葉を聞いたらすっきり♪

 

聖霊とは何なのか
なぜ聖霊があるのか
聖霊をうけたらどうなるのか
聖霊をうける理由はなんなのか
一体、自分には必要なのか?関係あるのか?

 
最初は聖霊運動というものに参加すると
「なんかわからんけど、元気になる!」
というかんじだった。

 

自分に自信がない私は思い込み?気のせい?と思った。
でも、元気が出るのは事実。
なんでだろう…
説明をきかないと私にはわからない現象
目にみえるものではないし

しかし、それは思い込みではなかった
気のせいでもなかった

 

はっきりと論理のうえになりたつもの

 

それを神様が全部考えて創って、実際に実行していると聞いたとき素直に
「神様、かっこいい~」
と思いました。

 

ちなみに、【聖霊】は自分で体験せんと、わからんわからん
逆に言うと、【聖霊】は誰でも経験すればわかるもの!

 

聖書でみる聖霊を受けた実体験談

使徒ペテロ

新約時代、イエス様が十字架につけられて、残された弟子たちの上に聖霊が臨んでから「使徒の歴史」が起こるようになった。

「使徒の歴史」はどのようにして起こったのか?

「新約聖書」を見ると、イエス様が亡くなった後、一カ所に集まって祈っている弟子たちに「聖霊」が下る様子が書かれている。

 

聖霊

五旬節五旬節がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
<使徒行伝2章1~4節>

聖霊1
@www.cbcj.catholic

この後、弟子たちは「聖霊」に満たされて、「自分たちが話せないはずの外国の言葉」で語り出す。それを見た人々は驚き、
「どうして彼らは我らの母国語で神の御働きについて語ることができるのだ?」
「私たちは様々な国から来ているのに、不思議だ・・・」
「いや、ありえない。彼らは酒に酔っているのでは?」
と口々に言った。

しかし、ペテロはこう証する。
「これは旧約のヨエルが預言したことにほかならない。」と。
ヨエル
ヨエル預言者@blog2.hix05

『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにも/わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。また、上では、天に奇跡を見せ、/下では、地にしるしを、/すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、/見せるであろう。主の大いなる輝かしい日が来る前に、/日はやみに/月は血に変るであろう。
<使徒行伝2章17~21節>

ペテロ
@blog.goo.

そして、ペテロは声を上げ、人々が「無知」で十字架につけて殺した「救い主イエス」について「証」する。その「証」の力は「聖霊」によるものだと書いてある。

聖霊1
@www.cbcj.catholic

イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。
使徒行伝2章33節より抜粋

ペテロはさらに「聖霊」に満たされて、人々に大胆に「証」をする。

ペテロ2
@rhinoos.xyz

だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
新約聖書 使徒行伝2章36節から41節

 

ペテロ
@blog.goo.

ペテロの「証」は「聖霊」によるものだったから、人々のふさがれていた考えの目が開かれ、
自分たちの罪を認める「御働き」が強烈に起こるようになった。

 

そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。
<使徒行伝2章33~47節>

ペテロ4
@www.hi-ho.

イエス様が生きていた時には、「共に祈ろう」と主が仰った時にも肉体が疲れ果てて共に祈れなかったペテロ。「死に至るまで主と共に生きます」と告白したのに、十字架の道へ行くイエス様を前にして恐れをなし、「私は彼を知らない」と逃げ出したペテロ。

ペテロ3
@www.ne.jp

心は熱くても、自分では乗り越えられない壁があった。
しかし、彼は変わった。

「聖霊」を受けて完全に「使徒」になった。
イエス様が亡くなる前に弟子たちに仰った通りである。

「助け主=聖霊は、あなたがたに全ての事を教え、
また私が話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。」
<ヨハネによる福音書14章26節より抜粋>

「あなたがたは今はそれに耐えられない。しかし、真理の御霊が来るときには、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるだろう。それは、自分から語るのではなく、
その聞く所を語り、来るべきことをあなた方に知らせるであろう。」
<ヨハネによる福音書16章13節>

人では成せない「聖霊の御働き」。その力で弟子たちは「使徒」となり、主の体になって命を尽くして叫び伝えたからこそ、全世界に「キリスト教」の福音が広がる奇跡が起こったのだろう。

全ては神様がなさることであり、聖書の歴史も神様が導かれた軌跡だ。たった一人から全世界に福音を広げる事は、絶対に「人間自らの力」だけでは起こせないことだ。

投稿者プロフィール

RIO
RIO
東京郊外出身&育ち。保育事業代表。保育士免許&保育園勤務経験あり。
高校生の終わりごろ、摂理の教会に来てから早20年。

◆年齢:山ちゃんと同じ

教会内のあらゆる役割を経験。祖父、叔父はお坊さん。
 
【好きなもの一覧】
◆食べ物:野菜、味噌汁、卵、ラーメン
◆映画:踊る大捜査線、ジブリ
◆漫画:キャプテン、コナン、るろ剣、ちいさいひと、正直不動産など(あげたらキリなし)
◆キャラ:ピッコロ、剣心、般若、安慈、イガラシ、流川、三井、木暮、赤井秀一
◆ゲーム:ドラクエ、FF
◆芸能人、著名人:YOSHIKI、織田裕二、NON STYLE、サンドウィッチマン、ホリエモン、せやろがいおじさん
◆スポーツ:高校野球、フィギュアスケート
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