関西学院大(関学)などの有志も発表 続く安保法案反対声明

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現在、多くの大学の有志が安保法案に反対の声明を出している。

関西学院大学、東北学院大学、仙台白百合女子大学、宮城学院女子大学、尚絅(しょうけい)学院大学の教員有志
聖心侍女修道会を設立母体とする清泉女子大学(東京都)。

その中でも関西学院大学(関学・兵庫県)の有志が、安保法案に反対する声明の内容は心に響くものがあった。

目次

宗教教育と礼拝の禁止

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私たちの関西学院が創立された1889年は、近代日本の進路を決定する大きな分岐点となる年でした。
この年、明治政府は「大日本帝国憲法」を制定しました。
しかし、帝国憲法発布を前後して、国粋主義が台頭し、自由民権運動は抑えられ、
富国強兵政策による戦争への準備が進められました。
憲法発布10年後の1899年には、文部省より訓令第十二号と私立学校令が出され、
学院での宗教教育や礼拝が禁止され、私立学校は政府の厳しい監視下に置かれました。

今、宗教教育がほぼ自由に出来るのも とても感謝すべきこと。
礼拝が禁止と言うのは、信者にとっては首を絞められるほどの行為に他ならない。
いつでも自由に宗教教育を受けたり礼拝が出来る。
平和あってのこと。この時、どれだけの苦しみを受けたのかと思うと心が苦しくなる。

 

この後、日清、日露などの戦争を経て中国軍と全面衝突に発展。

日本は第二次世界大戦へ突き進むこととなる。

 

1940年 外国人宣教師と教授が帰国

第4代ベーツ院長直筆

第4代ベーツ院長直筆

関西学院は軍国主義とファシズムが席捲する中、
1940年にべーツ院長が、院長、学長職を辞任、同年、
すべての外国人宣教師教授が帰国を余儀なくされました。
1943年には、学生の徴兵延期の特典が撤廃され、関学生の大部分が徴兵検査を受け、
「学徒出陣」として死地に動員されて行きました。戦死者は学院全体で218人と報告されています。

宣教師たちが帰国せざる得なかった。
きっと帰国したくなかった宣教師の方も多くいたことでしょう。
愛する生徒達を目の前に、戦争に徴兵されていく生徒達を目の前に
教授や宣教師たちは何を思いながら帰国したのだろうか。
戦死者は218人。
この218人の若き命の死は、絶対に忘れてはならないこと。

 

戦争をしない国、日本

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戦後、アジア・太平洋諸国の人々への「謝罪」と「悔い改め」の証として誕生した平和憲法は、過去に被害を受けたアジア・太平洋諸国の人々にとって、日本が二度と「戦争をする国」にならないための、大きな歯止めとなりました。「9条」は日本の憲法であると同時に、近隣諸国の人々にとって、自らの平和と「いのち」を保障してくれる、非暴力型安全保障とも言える存在です。

私達は、戦争の時に何があったのか
私達は何をしたのか、何をされたのか
全てを忘れてはならないし 後世に伝えていく使命があります。
戦争を知っている世代から、知らない世代へ。
そして知らない世代から、知らない世代へ。

どうかこの惨劇が繰り返されることが無いように切に祈り、声をあげます。

 

引用 参考:安保関連法案に反対する関西学院大学有志の声明 賛同署名

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