今日は、広島に原爆が投下されてから71年目の日です。
被爆者の方の高齢化が進んでいます。
ある被爆者の方は
「語る人がいなくなると、またいつか核を使うことが当たり前になってしまうのではないか」
と懸念されていました。
毎年、この時期になると戦争のことを改めて振り返る機会になります。
目次
NYで原爆犠牲者を追悼 “核廃絶”求める
原爆の日 犠牲者の霊を慰める灯ろう流し
https://www.youtube.com/watch?v=IhU61e8VaZE
戦争は突然起こるものではない
戦争はある日突然起きるものではなく、日々の和睦のちょっとした崩壊により起こります。
どの戦争を調べても、ある日突然大きな戦争が起きた事例は一つもありませんでした。
一人が戦争を起こし、一人が逆に戦争へ突入する道を変えることもできます。
人々は、一回を大したことではないと考えます。
「一回くらいは」、「私一人くらいは」、このような言葉を何回も繰り返しながら生きていきます。
ところが、「一回くらいは」が何回にもなり
「私一人くらいは」が全員になります。
「私一人くらいは」と捨てたゴミが山のように積まれている所もあるし、
「私一人くらいは」と捨てた排水が地球村全体を汚染します。
この一回、全ての始まりは、この一回から始まります。
つまり、この一回を掴(つか)んでこそ、全体を掴むことができます。-摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の御言葉より
我ら日本が攻撃を受けたことも、日本が攻撃をしたことも
常に頭に置きながら、私自身の考えをいつも平和にしたい。
私が全ての人と和睦できるように、努力していきたいです。
二度と、核兵器が使われることがない地球でありますよう。
核兵器がすべてなくなりますよう。
核兵器より、最高に脅威がある神様の愛、人々の愛の和睦、愛の交流が世界中を包みますように。
愛してこそ一つになる。憎めば二つになる。
-摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の御言葉より