摂理のモデル達は内面からにじみでるものがあるから美しいー。
摂理で長年、モデルをやっていた彼女
私と同年代の女性は身長は170を超え、スラっとしていて、どこか気品を感じるような顔立ち。
摂理で長年、モデルをやっていた。
彼女は、気が強いともよく言われる。
言動がハッキリしているから、そういう意味では日本人離れだ。
モデルとして中央に立つと、かなりサマになる。
彼女がいつもいつもモデルのような洋服を着ているかというと、割とラフな服が好きなようだ。
堅いかっちりとした洋服を着ても、それが必要な場面が終わると途中で大体着替えている。
背が高くて自殺を考えることがあるという
背が高い人を見ると、大抵の女性たちはこう話す。
「背が高くていいですね。」
私も何度言ったことだろう。
しかし、むしろ背が高くて自殺すら考える人がいると、鄭明析牧師は話す。
これは女性に限ったことではなく、190センチを超えた男性摂理メンバーも「もっと背が低かったらよかった」と言う。
私は背が150センチくらいなので、背のことで自殺を考えたことは一度もない。
背が高かったらよかったなあとたまに思うけれども、それでもあんまり背丈で悩んだことはない。
170センチを超えるモデル達の過去を聞くと、背丈のことで悩んだり、時にはいじめられたり。
背が高いことで、何か得をしたのかと言われると、どちらかと言えば不憫な思いをしたことが多いのかもしれない。
これは人によるだろうが。
背が高いことによって、それだけで
「怖い」
とか
「近寄りがたい」
とか思われることがあるのが悲しいという話も聞いたことがる。
「なんか、怖いって思われちゃってるみたいで。
話すと違ったとも言われるんです。」
苦笑いをしながら、ある摂理のモデル経験者が言う。
摂理のモデル達の身長
摂理のモデル達に身長制限があって、誰でもなれるわけでもないという話があるというが、厳密にそれが守られているわけでもない。
多少、身長が足りなくてもモデルになる人もいる。
むしろ身長が足りていても、モデルにならないかと言われても、辞退する人達だっている。
これって結構多いようにおもう。
私の周りにもいた。
だから摂理で身長が高い=モデルとは限らない。
また、モデルだからと言って摂理のメンバー達がこぞってその人たちを中心にすることも絶対ない。
別に自慢できることでもないが、うちの茨城の教会には摂理のモデルはいない。
必ずモデルを伝道せよ、背の高い人を伝道せよとそんな御言葉は聞いたことないし、指示だってされたことが無い。
高身長ばかりの人を伝道していたら、摂理の女性の平均身長は一般的なものより高いはずだが特に変わらない。
摂理に一度でも来たことがある人は分かるはずだ。
高身長のような人だけではなく、私のようなミニサイズ系の人達も結構いるということを。
摂理のモデル達の笑顔の意味
一般的に、特に世界のトップモデルは笑顔ではないことが多い。
トップモデルとして10年のキャリアを誇る、ナイジェリア出身のオグンコヤさんは
「ただ歩いて姿を消す方が楽。笑顔を見せようと思えば確実にハードルが高くなる」と認めている。
笑顔というのはどうやらハードルが高いらしい。
彼女はショーで笑顔を見せたことは一度もないという。新星モデルとして活躍中のビヨさん(22)は、
スマイル禁止という暗黙のルールが存在する理由は明確だと語る。
「見せたいのは服であって、私たちの顔ではない。笑えば、服ではなく顔に注目が集まってしまう」また、スロバキア人モデルのクララさん(18)は、「ランウェイを歩く時は何か悲しいことを考える」と話す。
「飼い猫が死んだ時のこととかね。バスにはねられて」と語る。参照:時事通信 トップモデルが無表情を貫く理由
最後のクララさんのコメントを見ながら、なんと悲しいモデルのショーなんだろうと思った。
私なら、飼い猫が死んだときのことを考えることはとても辛いこと。
それを考える必要があるくらいだとは。
私が最初、摂理のモデル達を見た時、ショーなのに笑顔なのが違和感があった。
「モデルって笑わないんじゃなかったっけ?」
でもその笑顔には、意味があった。
摂理のモデル達は何のためにモデルをするのか。
洋服の為ではなく、誰かの為ではなく、全て神様に栄光を帰すため。
神様に喜んでもらうため。
摂理のモデル達はよく笑う。
ステージ上でいつも笑顔。ステージ外でも笑顔。
目には見えない神様にだけ見せる為に、観客ゼロでモデルのショーを行うこともあったそうだ。
ただひたすら、人間ではなく神様を思って。
それは摂理の他の芸術も同じだ。
舞台に立つ前に祈りをささげるモデル達
芸術の中で最も最高の芸術が何か分かりますか?
まさに御言葉です。
-摂理 キリスト教福音宣教会 御言葉より
今日も摂理のモデル達は、御言葉を中心とし、
神様に喜んでもらうため、人生という舞台を笑顔で歩いていく。