海に行ってテンションが上がっていたら、かぎをなくした話

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山といえば、海です。

この前、山に遊びにいきました。

今度は海に遊びにいきました。

 

海で何をしたかというと、ものすごい勢いで

スポーツをして、あそんで、ごはんをたべました。

なんだったんだ、というくらい早い時間でした。

 

わたしは出不精なので、

昔は、こういうイベントに参加するのがだいきらいな部類でしたが、

なにもいやな感情もなく、ただ楽しく参加しておわりました。

 

みんなでスポーツという、そういう響きさえも昔はいやだったんですけど、

今日はそんな思いに関してはわだかまりなく、みんなでビーチバレーを全力でやりました。

撮影係ということも忘れて、写真もあまり撮らなかったです。

昔はスポーツがいやで、撮影に徹していましたが、プレイヤーの方がたのしいですね。

 

運転でつかれて、海に到着したばかりの頃は、気分が落ち気味でしたが、

ふしぎなことに、スポーツをすればするほどテンションが上がってきます。

スポーツってすごい。

 

それで、最後にみんなでアイスを食べて帰ったのですが、

帰ってから、自分の家のかぎを持っていないことに気づきました。

あっ、砂浜にかぎを忘れてきてしまった、とおもいました。

 

なんだか、マヌケなことを考えているようですが、

砂浜にかぎを忘れてきたという響きが

どこかの懐メロの歌詞のようだなあとおもいました。

 

かぎをなくしたことの原因のひとつとしては、

今までつけていたキーホルダーがぶちっと切れてしまったため、

かぎ単体で持ち歩いていたことだなあとおもいます。

 

とても大きなキーホルダーをつけていたので、なくしようがありませんでした。

ちなみに、わたしがかぎをなくすのは、大学生になってから5回目です。

小中高も合わせると、10回くらいなくしてるんじゃないかとおもいます。

 

しかし、あるとき、かぎをなくさない時期がありました。

そのとき、わたしはいつもかぎを首にかけて持ち歩いていました。

いつも体から離れないから、なくしませんでした。

 

なんでも首にかけていました。

かぎもそうだし、小銭入れや、スマホや、学生証。

どれも大切なものです。

でも、首にかけるのは、首が痛くなって肩がこるからもうやめました。

 

先生は、御言葉を首にかけていつも持ち歩きなさいとおっしゃることがあります。

確かにそれなら忘れないし、なくしません。

 

かぎというものは大切なものですが、今回、それをなくしてしまいました。

そのような大切なものを、同じくどこかに置いてきてしまうことのないようにという

神様のメッセージでもあるのかなとおもいます。

 

かぎのように大切な、神様、キリスト、御言葉、祈り。

人生のかぎとなるものがなにかわかったから、

もうなくすことのないように、しっかりと首にかけるようにしておこうとおもいました。

 

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