「りおに言っても、どうせ聞かないんだろうけどさ」
私の母親が、私に対して何度も話した言葉。
いろいろ私に言った上で、半分捨て台詞のように?いつも言ってました。
保育園の帰り。
母親は私を車で連れて帰ります。
春は、ある場所を通らずに帰っていました。
その場所は、桜の名所。
桜祭りを毎年、春には開催していて夜には露店でにぎわいます。
私は桜祭りが大好きだったので、見れば必ず「行きたい」といってました。
母親いわく
「りおは、諦めずにずっと言い続けていた。行くまで諦めなかった。うるさかった(笑)」
なので母親は、桜祭りを私に見せたくなかったのです。
(連れて行ってくれなかったわけではなく、毎日のように桜祭りに行くことを 母は避けたかったのです(笑)
そんな風にして育った私。
保育園、小学校、中学校、高校と進んでいきました。
今思えば、私がやりたいということを、根本的には父親も母親もとめませんでした。
私がやりたいといった習い事、全てやらせてもらえました。
同時に4つくらいは習い事いってました。
注意や叱られたこと、心配されたこと、たくさんありはしたし、今もその点はあんまり変わってない気がしますが(‘ω’;)
それでも自由にさせてもらってたんだなあと、この年になって改めて思います。
自由に生きるというのは簡単なことではなく、自分の意思だけでは特に子供の頃は難しいこともあります。
親が助けてくれ、見守ってくれていました。
神様が親を通して働いてくださっていました。
私は紛れもなく、野性の馬のようでした。
大人になった今でも、あれこれ言われるときもあります。
今現在も言うことを聞くときと聞かないとき、両方あるので、良い子には生きられていないのでしょう。
摂理の中で世の中で、野性の馬のように生きられるのは、まぎれもなく神様がいるからです。
神様が自由にさせてくださってるからです。
ところで。たまに、純粋な大人しい子達に対して「羊ちゃん」と言う人もいます。
でも。
羊を生で見ると、そのように言わなくなることでしょう。
羊を生で見たことがありますか?
羊って、まず駆け足がめちゃめちゃ早いんですよ。
スポーツが大得意な ぽんさん。一緒に羊と争いましたが 勝てませんでした(笑)
言うことなんて簡単には聞きませんよ(笑)
大人しくしてるだけじゃないです。
羊たちを牧場(まきば)に放しておけば、ある羊は寝るし、ある羊は草を食(は)むし、ある羊は飛び跳ねて遊ぶし、ある羊は歩くし、ある羊は押し合ったりもします。牧者はこれを見ながら、羊たちが柵を越えるとか、離れて行こうとするとき止めなければなりません。これが羊を育てる方法です。これが「放牧」です。
それなのに、羊が柵の中で横たわること、走ること、食べること、寝ること、押し合うことをいちいちやめさせて、「みんな横たわれ!みんな寝ろ!みんな草を食え!お前はなんで走るんだ。お前はなんで大声を出すんだ」と言ったら、羊を育てるのではなく、「飼育」することになります。だから、羊が歩くこともできないし、走ることもできないし、乳も出ないし、個性がありません。
羊を育て管理をする時は、牧者が羊をいちいち抱えて、一斉に食べさせ、走らせ、寝かせることはできません。または、いちいち干渉しながら一斉に食べさせ、走らせ、寝かせることもできません。
幼い人たちが摂理の園で御言葉を聞いて、もっと自由に走って努力するように放っておかなければなりません。
これからは実践すればいいです。
2013年5月5日主日の御言葉 子供を飼育しないで、放牧しなさいより
保育園で私が新人の頃いわれたのは
「命の危険があるときだけはハッキリと注意してください。でもそれ以外は、基本的には自由にさせてください。」
ということでした。
でも実際やってみると難しいときもあります。
もがきですね。
神様が私を自由に育ててくださったように、私もそのように人に接していきたいです(´・ω・`)!