奥田さんの通う大学に殺害予告が届く
国会前などで安全保障関連法案への反対運動をしてきた学生グループ「SEALDs(シールズ)」の中心メンバー、奥田愛基(あき)さんと家族を殺害するとした予告があったことが28日、分かった。奥田さんが自身の短文投稿サイト「ツイッター」で明らかにした。
奥田さんのツイッターによると「学校の方に、僕と家族に対する殺害予告が来ました。何か意見を言うだけで、殺されたりするのは嫌なので、一応身の回りに用心して、学校行ったりしてます」と記述。被害届を出すなどしたとみられる。
引用:産経新聞
ネット文化の今、こういった殺害予告は残念ながら頻繁に現れるようになった。
公人に向けて、著名人に向けて、そして一般人に向けて。
殺したいほど憎い相手。
新約聖書から見ると、人を憎んだ時点で人殺しと一緒だとイエス様は話している。
憎む、人殺しという考えをするだけで人殺しは果たして出来るのだろうか。
考えで人も生かし、殺しもする
摂理の御言葉では特に最近、<考え><思考>についてたくさん話が出ている。
<考え>が話す。人はある考えをもってして、何かを話す。
<考え>が聞く。人はある考えをもってして、何かを聞く。
<考え>が見る。人はある考えをもってして、何かを見る。
だから同じことを聞いても見ても、人によって反応が違う。話すことが異なってくる。
考えというのは、まるで体と同じだ。
何にもしないでおいたら、ただぼんやりする。
でも、何らかの目的を持って繰り返し行えば、まるで<考え><思考>自体にまるで体があるかのようにさえ感じられる。
ではその<考え><思考>は何をするのか。
<考え>は「肉体」を着て、動き回る。<考え>が「体の主人」だ。
<考えた時点>から自分の行動が出発するから、考えた時点で憎んだり人殺しに繋がる。
また<考え>は相手のことを考えた時に相手に飛んで行くから、相手と直接やり取りしなかったとしても<戦う>こともある。
匿名でtwitterなどに載せた場合も、相手にその<考え>が飛んで行っていることは確実だ。
メディア上で、SNS上で、様々な<考えの戦い>が起きている。
ただ文章を書いただけでは終わらない事態が、あちこちで起きている。
時には人の名誉、権利、そして命さえも奪う。
同じ<戦い>でもルールがあるように、<考えの戦い>もルールがある。
考えが相手を殴っていること、相手の命を奪うこと。
そういうことがあるということ、そしてこの平和と言われる日本でも起きていることに対しもっと危惧して祈らねば。
<考え>には「自分の考え、人間の考え」があり、「全能なる聖三位の考え、神の考え」がある。
2015年9月29日 摂理の明け方の箴言より
神様の考えをもっと学び、もっと得たい。
もっと私自身が正しくあることができるように。
<考え>で人を傷つけ、人を害することが無いように。
むしろ、<考え>で希望と夢と癒しを届けて差し上げることが出来るように。
<考え>が「作品」を着て現れて、<考えの実相>を「作品」として残す。
<考え>が「言葉」を着て現れて、<考えの実相>を「言葉」で残す。
<考え>が「肉体」を着て現れて、<考え>の実相>を「行ない」で残す。