こんにちはタイム博士です。
突然ですが17という数字、実は革命と深い関係があります。
たとえば、清教徒革命は17世紀に起こりました。そして1776年にはアメリカ独立戦争、1789年フランス革命、1917年ロシア革命が起こりました。
また聖書ではダビデが17歳の時に、長くイスラエル民族を苦しめ、誰もが敵わなかったゴリアテを倒しました。これにより、イスラエル民族はゴリアテの苦しみから解放され、イスラエルに革命が起こりました。
このように17と革命には数奇な縁があり、17の数を革命の数と言っても問題はないでしょう。そして、ここにもう一人17歳の時に立ち上がり、国を解放して革命を起こした少女がいました。
少女の名は、ジャンヌ・ダルク(図1)。
長い戦争の中、母国フランスのために立ち上がった彼女が今回の主人公です
図1.シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク(ドミニク・アングル)
フランスを解放した少女、ジャンヌ・ダルク
ジャンヌが活躍した当時のフランスはどうだったでしょうか?
彼女が歴史に現れた時、フランスはイギリスとの間で100年戦争(1337年~1453年)という泥沼の戦争が起きていました。さらに言えば、拠点をあと一つさえ奪えばイギリスが完全に勝利できる状態にまでフランスは追い詰められていました。まさに、国家としての存亡の危機にフランスは瀕していました。
そんな危機的状況の中、ジャンヌは神の声を聞いて、母国フランスのために立ち上がります。そして、彼女が現れたことをきっかけに、フランスは徐々にですが大きく変化するようになりました。
神の声を聞く少女ジャンヌ。
今となっては数多くの物語にも登場し、世界中の人が彼女の名前を聞いたことがあるでしょう。
しかし、ジャンヌが戦争に参加した当初は全くの無名でした。ただの一人の少女に過ぎず、人々に受け入れらませんでした。戦いも知らない小娘に何ができるのかと、軍人は彼女のことを見下すこともありました。
人々が認めてくれなかったとしても、ジャンヌは母国フランスのためにいつも祈り続けていました。そして、旗を掲げ、先陣を切って戦いに臨みました。17歳の少女でありながら、フランスのために真実に戦うジャンヌの姿を見て、フランスの人たちは少しずつ彼女を認めていきます。いつしか、フランスはジャンヌを中心に一つに団結するようになります。
団結したフランスは、イギリスを巻き返し、次々とフランスの都市を解放していきます。残念ながら、志半ばでジャンヌは死んでしまいますが、彼女の意思を受け継いだ人々によって100年戦争はフランスの全面的勝利で終わり、イギリスの脅威から完全に解放されました。
結局、17歳の少女の勇気がフランスに革命を起こしました。
古い戦術を捨てた新戦術
それでは、どうしてジャンヌは母国フランスを革命を起こすことができたのでしょうか? その秘密の一つは、彼女がとった戦術にあります。具体的には、当時の新兵器である大砲(図2参照)を導入しました。
図2.オルレアン包囲戦、1429年
当時、ヨーロッパの戦争では剣での戦いが主流であり、伝統的な手法でした。そして、剣での戦いはヨーロッパの兵士にとって誇り高いものでした。
しかし、ジャンヌは違いました。彼女は、剣を主流とした古い戦術を捨てて、大砲という新しい戦術を導入しました。大砲の威力はすさまじく、剣では切り崩すことのできなかったイギリスの砦を破壊するのに十分な威力を発揮しました。
はやく大砲の導入を進めたことにより、フランス軍はイギリス軍に次々と勝利するようになります。
幼子のようになりなさい
ここでもっと深く考えてみましょう。フランス軍には多くの優秀な軍人がいました。しかし、優秀な軍人たちは大砲を導入することはありませんでした。結局、戦争の経験がないジャンヌが大砲を導入することにました。優秀な軍人を差し置いて、どうして17歳の少女が当時の最新兵器である大砲を導入できたのでしょうか?
これは筆者タイム博士の意見ですが、逆にジャンヌが戦争の経験のない17歳の少女だったからこそ可能であったと考えています。
先述したとおり、当時のフランスの軍人は剣での戦いに誇りを持っていました。少し意地悪な言い方をすれば、当時のフランスの軍人は、剣以外での戦いは邪道だと強いこだわりがありました。だから、剣よりももっと強力な兵器である大砲が出てきても、彼らのこだわりが邪魔して、大砲を使うことは考えられせんでした。
しかし、ジャンヌは違いました。彼女は、今まで戦争の経験がなく、剣での戦いを知らないため、剣に対するこだわりもありませんでした。それでいて、一日でも早くフランスが解放されることを切実に願っていました。そうした幼いながらも、純粋で切実な彼女だからこそ、大砲の威力を見抜いて、抵抗もなく実戦で大砲を導入できたのは自然なことだと思います。
聖書ではこのような聖句があります。
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイによる福音書18:1~4)
幼な子の心があってこそ天国に行くと、つまり幼な子の心こそが完成された心であるとイエスは言っています。それでは幼子のような心とは何でしょうか? それは、ジャンヌのように皆の平和を願う切実で純粋な心ではないでしょうか。
私たちは、生きていく中で様々なことを体験していきます。しかし、その体験は決して良いものばかりではなく、時に苦く、心苦しいものがあり、ふと気が付けば、自分でも気づかぬ内におっさんのような間違った固定観念とこだわりを持って、物事を斜めに見ていないでしょうか?
「絶対にこうすべきだ!」
そんな自分のこだわりのフィルターを一度取り除いて、まっさらな心で純粋に物事を見てみませんか? そうした時に、今まで見えてこなかった新しい世界が見えてくると思います。
ジャンヌのように切実で純粋な愛の心で自分の生活に革命が起きることを祈ります。