聖書のエステル記1章を読んでみると、127州を治めるアハシュエロス王について書かれています。
アハシュエロス王は、即位して3年になる年に、180日間、各州の将軍と貴族と大臣たちのために宴会を開きました。それによって、王の位とはどういうものなのかを見せ、王の権威と権勢と力を知らしめました。
6ヶ月間の長い宴会が終わって、王宮のある都に住んでいる民のために、王宮の裏庭で7日間宴会を開きました。このとき、アハシュエロス王の王妃ワシテも、政治、経済など各分野の最高のエリートの女性のために王宮で宴会を開きました。
最後の7日目の日、アハシュエロス王は7人の侍従を呼んで、王妃ワシテを、王の前に来るように呼びました。王妃の冠をかぶって正装して、王の前に出て来なさいと言いました。これは、宴会の最後に、民と全国の大臣たちに王妃の美しさと人徳を見せて、自慢するためでした。男にとっては妻が自慢であり、子供が自慢だと言います。アハシュエロス王も、自分の美しい王妃を自分が治めている127州から集まってきた大臣たちに見せて、その美しさを口が痛くなるほど絶賛しようとしたのです。
この計画は、それこそ、その宴会のクライマックスであり、宴会のハイライトの一つでした。すべての人々に王妃を見せることで、王の権威をもっと高めるためでした。平素は民と大臣たちが王妃を見ることが難しいから、この行事はそれこそ期待されているものでした。
王に命じられた侍従7人が王妃を迎えに行きました。民と大臣たちは、王妃が出てくるのを期待して、みんな緊張して待っていました。王も期待していました。しかし、王妃は現われず、7人の侍従たちがただ戻ってきました。王妃ワシテが王の命令に従うことを嫌がって、王の前に出てこなかったのです。
それで、アハシュエロス王はその場で怒鳴って立ち上がりました。怒りと憤りが胸に火のごとく燃えました。結局、王は7人の大臣の言葉を受け入れて、王妃を選び直すことにしました。
多くの乙女たちが、王の前に進み出るために、1年間準備をしました。その中で、王宮の門番であったモルデカイの従妹(いとこ)エステルが王の寵愛を受け、王妃になりました。その日から、ワシテは一生、王妃の資格を剥奪されてしまいました。王が呼んだのに行かなかったことで、一日にして転落の人生になってしまいました。
皆さんも、神様が福音で呼んでくださったのに来なければ、ワシテのような立場になって、天国に行く資格を喪失してしまいます。
王が自分の威厳と権威を表すために、民と大臣たちを招いて宴会を開いて、王妃の容姿がどれほど美しいのかを見せようとしましたが、ワシテは無知の中の相克を犯して、王の命令に逆らい、王に恥をかかせました。だから王は、ワシテよりもっと美しく、人格的で、天の心を持っているエステルを王妃に選びました。
このように神様に呼ばれた皆さん。呼んでくださったことだけでも、それ自体が人生に成功したのです。永遠に希望のある人になったのです。そのかわりに、真実に主を愛して、最後まで行かなければなりません。
世の中の物質の成功、名誉の成功、愛の成功が永遠な成功ではありません。人生が永遠に存在するようにしてこそ、永遠な成功を成したのです。霊魂を救っておいた生き方が永遠な成功の生き方です。このような人だけが人生に本当に成功した人です。真の人生の道を見つけた人です。永遠な出世をした人です。
その呼んでくださった御心を悟って、命をかけてついて行くべきです。
全知全能でいらっしゃる神様は、人々を救って、その肉体が死亡や何かの困難に見舞われるとき守ってくださり、一生の間栄えるように導くために呼んでくださいます。また、その霊魂が滅びないで、永遠に天の国に来て生きるようにと呼んでくださいます。
だから、神様が呼んでくださることは、世の中のある王や名誉のある人が呼んだこととは比べられないし、その違いは、天が地より高いように大きな違いがあります。神様が呼んでくださったことは、一生の間考えても、その感謝と喜びをすべて表現しきれないことなのです。
2011年6月1日 主日礼拝
全能でいらっしゃる神様があなたを福音で呼んでくださったことを最も貴重なことだと悟って生きなさい
より抜粋
<本文>エステル記1章1~5節、9~12節、エステル記2章16~18節