先日、摂理のメンバー達でバレーをしていたときのこと。
「このバレーの中で、何か一つでも悟りを得たいです。」
とお祈りしながらバレーをしました。
バレーの試合は紆余曲折、いろんなことが起こるわけです。
今回のバレー試合もサーブがうまくいったと思ったら、レシーブでミスしたりなど様々な課題がありました。
終わった後に「ああすれば良かった」と後悔が残ることもあります。
それを思った時に聖書の聖句が頭の中にうかびました。
テモテへの第二の手紙4章7-8節
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。
これはパウロ先生が話された聖句です。
パウロ先生は元々、イエス・キリストを迫害していました。
ですがイエス様に伝道されて以降はガラリとその人生が変わり、命がつきるまでキリストのことを述べ伝えました。
このように後悔の無い人生を歩むということは、言葉で言うと簡単ですが実際に生きてみるととてつもなく難しい
パウロ先生は今でいう逮捕されて牢屋に入りつつも、神様の御言葉を熱心に述べ伝えました。
「後悔しないという気持ちを持つ」のと、「実際に後悔しない人生を歩む」のとでは天地の差がありますよね。
バレーの試合一つでも後悔することが残るのに、ましてや人生を後悔無しに歩むとしたら、どれだけの力がいるでしょうか。
後悔をしない人生というのはどうやったら歩めるのでしょうか?
御子の趣向どおりに生きると、いつどこに行ってもふさわしい。
後悔しない。永遠だ。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
アーメン。
本当に後悔しない人生はやはり、神様の御心通りに生きる人生ですよね。
パウロ先生が後悔しなかったのは、神様の御心通りに生きたからですね。
自分の人生、特にここ数年を考えてみました。
過去を振り返っても後悔が無いわけではありません。
ああすれば良かった、何故あのタイミングであれをやってしまったのだろう。
深く考えることもありました。
たった15分のバレーの試合一つとっても後悔するようなことがおこるのに、ましてや長い人生の間、本当に後悔しない人生を歩むのだとしたら、とてつもない決心が必要になります。
私も神様の御心通りに生きて、必ず後悔しない人生を歩みたいと再び深く決意しました。
私が今、こうやって神様に祈りながら摂理の御言葉を聞きながら生活できることが感謝ですし後悔のあった人生を通して、後悔の無い人生を生きる価値を見いだせたことを心から感謝します。
後悔するようなことをしてしまった人生さえも、後悔の無い人生を送るための深い経緯の一つとして未練なく後悔なく、神様の御心通りの人生を走っていきます!!!
最後まで諦めない!!!