落ち込んだ時って人は誰にまず話すんだろう
友達?彼氏?彼女?親?
私は誰にも話さないことが多かった。
話さないというより話せなかったと言った方が適切だろうか。
話すことが怖かった。
目次
摂理に来る前から神様を信じていた私
いつの間にか、神様に少しずつ話しかけていた。
神様は私が生まれる前から一緒にいてくれたんだよと
摂理の御言葉で聞いたけれど、それは本当だろうなと思う。
その頃から、私の声なき声を神様は聞いてくれていた。
お母さんに甘えたかったけれども甘えることが許されなくて泣いた時
一人でお母さんをずっと待っていた時
怒られて叱られてどうしていいか分からなくて泣いた時
初めてのテストで100点とったとき
全く友達がいない小学校に入って、友達が出来なかったとき
九死に一生の大怪我をしたとき
100m走を全力で駆け抜けた時
幼い頃からずっと神様は隣にいた。
「頑張ってるね」
「大丈夫、諦めないで」
「私はそばにいるよ」
「私と話してみようよ」
でも、はっきり気づけたのは摂理の御言葉を聞いてからだった。
人ははっきり分からなければ、はっきり行動することも出来ない。
サッカーだって分かったら迷いなくパスを出せるけれど
分からなければなんとなくしか出来ない。
摂理の御言葉を聞いて思ったのは、なんてはっきりしているんだろうということだった。
神様は私の声なき声を今も聞いてくださっている。
そして今後も神様は私の隣にいて、私が笑う時も 泣くときも 怒る時も 悲しいときも
片時も手を離さないだろう。
私が神様の手を離したとしても、神様から私の手を離すことはなさらないだろう。