鄭明析牧師の実践力 -共に行おう

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鄭明析牧師は御言葉も勿論凄いと思うし、性格人格がホントに素晴らしいけれども
その中でも特に「実践力」は群を抜いていると思う。
そして一人で実践ではなく、何かをしようとするときに
ほぼ必ず「一緒にやろう」とおっしゃる。
誰と?
聖三位と共に。そして私達と共に。

私が鄭明析牧師に会った時、いつも一緒だった。
月明洞の工事をするときも、お祈りする時も、讃美する時も、御言葉の時も、
サッカーをするときも、食事のときも。
そしていつも人々に教えてくれるだけじゃなく、神様に、そして人々に学んでいる。
学ぶだけじゃない。教えるだけじゃない。
その両方を兼ね備えている。
あるとき、鄭明析牧師が芸術祭の司会をやっていた。
ダンスチームの番になったとき、あまりにもそのダンスチームが楽しそうにやっていたので
一緒になって踊ろうとしていた。
ダンスは、その本人達が踊るのを真似して学んで踊ろうとしていた。
そんなお茶目な姿が微笑ましかった。きっと神様も笑っていただろう。
いつもそうだった。
横柄にしていても良いくらいの立場なのに
自分より出来る人がいればその人を通して学ぶ。
自分より出来ない人がいれば丁寧に優しく、その人の立場になって教えてあげる。

いつもその姿勢が謙虚だった。
そして何より楽しそうだった。

実践って、簡単にはいかない。
思ったことを全て出来るなら、今の自分はいないはずだと誰もが思うはず。
鄭明析牧師も簡単に実践できたわけではない。
簡単に実践できる人は、教えることが不得手なことがある。
分からない人に教えるには、分からなかった経験が無いと厳しい。
自分の超得意なことを、全く不得意な人に教えるのは結構大変だ。
鄭明析牧師は元々スポーツをやってきた方ではない。
私が会った時点でサッカーは上手だったけれども
バレーはまだこれからという感じで頑張っていらっしゃった。
よくサッカーのことは話されてるけれども
努力しているのをより感じたのは、私個人としてはバレーのほうだった。
何故かというと会うたびに確実に上手になっていっていたから。
それを私が見たから。
サッカーも40代から始めたから、練習に練習を重ねて今の姿があるのは勿論分かる。
でも私が実際、目の前で見たのがバレーの技術が顕著に伸びていっていたので
より印象に残っているというわけだ。
(サッカーも努力していたのは勿論否めない)
そのように鄭明析牧師も最初から何でも出来たわけではないから、教えるのがとても上手。
私も今でも「こんな簡単そうなこと、わざわざ聞いていいかなあ」
と思いつつ聞くと、分かりやすい答えが返ってくる。
いつも難しいことは言わない。
難しいことに私は着いていけないタイプなので、簡単に話してくださるからとっても有難い。
実践者というのはどこの世界でも強い。
それが神様の真理を実践する人であればどれだけ強いことだろう。
いつも「皆、共に行おう。私が助ける。」と話してくださる鄭明析牧師。
人格の上に神様の御言葉を実践、そして一人でやるのではなく主と共に、皆と共に実践という最強の武器を持ってる方だ。

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