賛美曲「愛と許しと寛容だ」で、大抵のことは解決する話

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「愛と許しと寛容だ」という摂理の賛美曲があります。まじでいい曲。
これを聞くと、もういやだ、本当にひどい、とおもったことも全部許せます。

わたしは、生活の中でよく怒ります。
「わりとがんばったのに、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」
「よかれとおもってやったのに、なんでそんなこ(ry」
「わたしまったく悪くないけど、なん(ry」

という風に、感じることがあります。
わたし、時には寛容ですが、時には寛容さゼロです。
自分の非や、人の意見を受け入れたくないときがあります。

「どうしてわたしのことをわかってくれないの!キイイ」
っていうよくあるヒステリックな気持ちになります。

 

よくよく考えれば、そこまで怒ることでもないけれど、
ちょっとしたことで、被害者意識でいっぱいになってしまいます。

でも、2時間もすれば、何について怒っていたのか、もう思い出せません。
そう、わたしが怒っていたことは、
怒る必要性のない、どうでもいい内容ということです。

むしろ、怒りを抜いて考えてみると、そこから学ぶことが多くあります。
怒ってふさぎ込んでいる場合ではなくて、早く直して新しく行えたら楽です。

だれかが話してくるなら、それは神様が人を通しておっしゃっることかもしれないし、
だれかがうっとうしい行動をしているなら、それを見て学ぶことがあるかもしれません。

いつも、目の前で起こっていることに対して、わたしが持つ悪い感情を取り除いて考えたいところです。

でも、感情をがまんするのはつらいです。
いくらジャパニーズサムライといえども、忍耐だけではやっていけません。
責任感、使命者意識、耐え忍ぶばかりではつらいです。

 

そこで、思い出すべきことは、愛です。
わたしは、主が自分を愛してくださっていることを知って、
すきで御言葉に従って、すきでさまざまな仕事にも挑戦するようになりました。

でも、そういう愛とか、いつも忘れちゃうんですよね。
だから、自分で思い出さないといけないなあとおもいました。

冒頭でご紹介した、「愛と許しと寛容だ」という曲は、
神様が天地万物と人間を愛で創造した、と賛美します。
賛美しながら、そうだった、神様は愛で行なわれる方だ、と思い出します。

この曲を賛美するうち、
わたしはだれに愛してもらい、だれに許してもらったのかを考えるようになります。
神様と同じように、広い心で、愛で行ないたい、と思うようになります。

 

明け方、わたしは毎日この曲を賛美してから祈っていました。
別に、毎日怒り狂っていたわけではないです。
この曲を聞くと、神様にとっても近くなる感じがしました。だからかなりヘビロテしていました。
しかしあるときは、傷ついてどうしても許せず、この曲を6回歌うこともありました。

すると、わたしの問題がどうでもよくなりました。
自分の非も、ちょっと見てみようと思えるし、ちょっと認識を変えてみようと思えるようになりました。
神様の愛を手に持ってみたら、代わりに、わたしがすきで手放せない考えが手から落ちてしまったようでした。

わたしは大事なことを忘れるとき、いつもうまくいかなくなりますが、
自分が感じる多くの問題は、そこまで大きな問題ではありませんでした。

神様を愛しているみなさん、
たまには寂しくなり、たまには怒りたくなっちゃうときもあるとおもいます。
でも、神様のように愛と許しと寛容の心を持ちたいとき、ぜひ聞いてみてください。

 

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