最近は、めっきり寒くなり、悔い改めにぴったりの季節ですね。
くいあらため、みなさんはしたことがあるでしょうか。
悔い改めとは。文字どおり、自分の行いを悔い、改めることです。
悔いて、ごめんなさい。というだけではなく、行いを直すところまでが悔い改めです。
わたしはあまり悔い改めができない方なのですが、
それはなぜかというと、まあいっか。と思っちゃうからです。
人の気持ちを想像するのが苦手なのですが、神様の気持ちも察するのがへたです。
わたしが罪を犯すことで、神様がどんな風に悲しまれるのか。
想像がうまくできないので、悔い改めがあんまり進んでいません。
でも、わたしがイメージしようがしなかろうが、
実際、知らない間に神様の心情を傷つけてしまっているのだと思います。
そのままではいやだから、良心に引っかかることをちょっとでも直していけるように、
年内になんとか行動を変えたいことをリストアップしてみようと思います。
良心に引っかかるけれどなかなか悔い改められていないことリスト
- 礼拝に寝癖をつけて行くこと
- 言い訳をつけて、ふとしたタイミングで人にあいさつしないこと
- ごはんの前のお祈りがちょっと適当になってしまうこと
- 明け方の礼拝が始まる前ギリギリに起きた時、もういいやっておもってもう一回寝ちゃうこと
- だれかと一緒に祈る時、人を意識してきれいに祈ってしまうこと
- 部屋の掃除をしたくないからやらないこと
(神様をお迎えしようとする意識が低レベル) - 主日の御言葉を7回読まないこと(LineやTwitterは読むのに!)
- 御言葉のために、徹底的に準備していないこと
- なんか無意味に夜更かししちゃうこと
- 絵を描き出すと止まらなくて、すべてを差し置いてしまうこと
(デザインを考えたり、写真の整理や加工、映像をつくるときも) - 会話でいい表現が思い浮かばなくて、ネガティブに感じる発言をしてしまうこと
(自分では一切ネガティブには思っていない) - 相手のことを自分の認識でカテゴライズしてしまうこと
(あの人はああいう人で、この人はこういう人、と決めつける) - 自分の発言・行動のパターン・マニュアルをつくってしまうこと。
(こういうときは決まってこれをする。いつもと状況や環境が異なっていたとしても) - 親に寛容でないこと。友達なら許すのに、親には怒ってしまう
- 自分がすきなものには心を込めるけれど、そうでないものだと他人事のようになること
- 忙しくなると、いつのまにか自分のために生きてしまっていること
うわあ、いっぱいある。もっといっぱいあります。
文字数だけ見るなら、「自分が悔い改めることについて」っていう論文が書けそうです。
ひとつのことでも、いいときはいいけれど、悪いときは悪いのです。
いいことをよくできるのはあたりまえなのです。
こうしてみるとなんだか自分って、ものすごいだめ人間だなあと感じるけれど、
同時に、この状態の自分を愛してくださっている神様って本当に寛容だなとおもいます。
こんなにできないところが多いのに、あなたは傑作品だ、愛しているよ、と話してくださるのです。ほんと泣ける。
自分が神様に見合う姿になるまで、長い間お待たせしているから、早く直さなくっちゃとおもいます。
神様は目に見えないから、考えないと忘れます。神様が目の前にいると考えるならやらないはずのことも、
神様のことを忘れて、自分のことばっかり考えて行ってしまうから、
どんどん神様とは遠いところにいくようになります。
でも実際は、自分一人を穴があくほど見つめてくださっている神様です。
以前わたしはある人から、じっと、穴があくほど強く見つめられるときがありました。
その目を見ながら、神様もこのようにわたしを見ているのだと強く感じたことがあるのですが、
その神様の、自分に対するまっすぐな目を思い出すと、
神様とわたしとの一対一の問題、ふたりで進めていくことなのだなと感じられます。
神様が根気強く導いてくださるから、わたしも神様に対して真剣にやらなくてはいけないと感じます。
神様がわたしに対して誠実だから、わたしも神様に対して誠実でありたいです。
まずは寝癖をつけないために、髪を短くました。ツーブロックです。