摂理での男女交際、結婚に対する考え方が妥当だと感じる理由

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家庭について話すので、まずわたしの家庭のことを話します。
わたしの親は、現時点では、摂理で信仰を持っている人たちではありません。

また、わたしには、母がいません。親が途中で離婚したからです。

なので、ずっと父と過ごしてきました。
お母さんがいないと、若いうちからお母さんの代わりにいろいろと働くため、
よく、しっかりした子に育つと言われるけれど、
必ずしも全員が全員、そうではありません。少なくとも私はそうではありません。

わたしはおおらかな父の元で、おおらかに、特に厳しいしつけもなく育ちました。
父は娘思いだったため、あれをしなさい、これをしなさいと言わず、多くの仕事を、責任を持ってしてくれました。
なのでわたしは甘んじて、遊びほうけて育ちました。インドアで。

また、女性らしいこともあまり覚えないまま、のびのびと育ちました。
女性らしさがすっぽり抜けていたため、周りとのギャップをいつも感じていました。
わたしは友だちよりも劣る面が多く、いろいろと指摘を受けることが多かったです。

摂理に来てから、お姉さんたちに色々なことを学び、髪をくしでとくことや、料理をすることや、
ちゃんとした女性がやるようなことをちょっとずつ覚えました。
いや、実は覚えていないです。やるもんなんだという意識を持ったレベルです。

そういうの、興味がわかなくてできないのです。
これは片親とか関係なく、わたしの甘ったれた性格が原因だとおもいます。

 

また、父しかいなかったため、家でひとりのことが多かったのですが、
離婚する前も、もともとひとりのことが多かったと記憶しています。
兄弟もいなかったので、夜はいつも、さびしいなあ、怖いなあと思いながらテレビを見て過ごしていました。

わたしは小さい頃からおばけが怖かったのです。
無音になったら、おばけがくるとおもっていたから、テレビを消すことができませんでした。
母も父も、よく深夜まで帰ってこないため、怖くてテレビの前から動けませんでした。

がまんしてさっさと寝ればよかったのですが、とにかく怖かったんです。
今考えたら、なにかしらいたんじゃないかとおもいます。

さびしいし怖いから、いつも余計なことを考えないように、
テレビとゲームに熱中するようにしていました。
また、成長するにつれて、インターネットに代わっていきました。

いつも見えないおばけを考えないように戦っていました。
おばけが怖いと考えていると、そばにくるという風の噂を聞き、
絶対考えないぞとおもっていました。

ホラー系のテレビCMを流すことも、本当にやめてほしかったです。
親が帰ってくるまで起きるために、怖くないようにテレビを見ているのに!
一人で留守番をしている全国の子どもたちが、もっとおばけのことを考えてしまいます。
中学生になっても、家で一人ということは、心細かったです。

わたしのゲームやテレビ好きは、そのような恐怖からの脱却から始まり、
そしてそれは、大人になって、おばけへの恐怖が薄れたあとも続きました。

 

また、離婚してからも、母はたまにわたしと会ってごはんをおごってくれます。
母とは、いつもあんまり話があいません。
わたしは自ら母に話す内容もないし、母がわたしに質問してくれても、
わたしは母に話すことがありませんでした。

友達には話すことは山ほどあるけれど、母に話すことはなんにも思い浮かばないので、
残念ながら、わたしは母にそんなに心を開いていないのだとおもいます。

母は再婚し、もう、新たな家庭がありました。
いつも、母と会うときは、母と、母の新たな家族と共に会うのですが、
会ってもなんだか面白くないなあとおもっていました。

考え方を変えて、もっと面白くできたらいいのになあともおもうのですが、
ここは、考えをなかなか転換できない点なのです。
だから、これから変えようとおもっています。

 

母が母として、わたしのそばにいないことがさびしかったのですが、かといって、父が再婚するのもいやでした。
中学3年生の、冬と春の間くらいのとき、
やっと高校受験が終わったので、友人みんなとディズニーランドに行ったことがありました。

家に帰ると、知らない女の人の靴があり、父とリビングで楽しそうに会話していました。
なんだかおぞましい感じを受けたので、家に入れず、外に戻って一晩中散歩をしました。
ディズニーランドで楽しく過ごしたことなんか、全部ふっとんでしまいました。

つまり彼女は、ともすればわたしの母となっていた可能性のある人だったのですが、
結局、父はその人と再婚することはありませんでした。

親戚からは、男ひとりでがんばって育ててきたから、再婚させてあげな、
そろそろいい人が見つかるといいね、とたまに言われます。
まあ確かに、そのくらいできたらいいのだろうなとはおもうし、
私が拒否できるようなことなのか、とか様々おもうことはあるのですが、
悪いんですけど、そのときはなんだかきもちわるいなっておもっちゃったんです。

そんなわけで、新たな母の選択肢は消え去り、
でも、わたしの母だった人は、もうすでに誰かの母なので、
わたしだけの母はいないなあとおもっていました。

 

それで、御言葉を聞いて救いだったのが、聖霊様の存在でした。

聖霊様は、聖三位の神様のお一方、霊の母。わたしたちのお母さんです。
わたしは摂理にきて、わたしのお母さんを見つけられてよかったのです。

人はいつも変わるけれど、神様は永遠に変わりません。
だからわたしは聖霊様が大好きになりました。
わたしが胸の内をすっきり話せる相手は、人ではなく、ただ神様だったのです。

それから、御言葉で霊の存在を教えてもらえて、本当によかったです。
わたしには主がいるから、おばけは大丈夫だとおもえました。これで一人でも過ごせます。

 

摂理では、神様をまず愛して、その上で家庭を作れば天国だという考え方があります。
神様の愛をわかって、その神様の愛で家庭を愛し育てていくことができる人たちが、家庭を作るということです。

だから、わたしたちは、男女交際は一旦置いて、
神様を愛すること、自分を成長させることにまず集中します。
わたしは、このやり方に本当に賛成です。

世間では、早く結婚しなくては、と焦る人たちも多いと思います。
子どもとしては、結婚するのはいつでもいいのですが、
準備ができてベストな状態で結婚して、産んでくれたらいいなとおもいます。

最後まで家族を愛して一緒にいてくれるなら、子どもとしては十分です。

わたしの家庭を見るだけでも、いい家庭をつくるのって、そう簡単ではないのだろうなと感じます。
相手を愛し、子供を愛し続けるのって、自然にできる人もいるとはおもいますが、
多くの人にとっては、結構体力が必要なのだろうなとおもいます。
そのためには、愛ってなんなのかわからないといけないのです。

 

愛を学ぶには、神様から学べばいいです。
神様の愛を学ぶことって、いい家庭をつくるのに、とっても必要なことだとおもいます。
自分が神様の愛を知ってこそ、神様がどんな愛をするのかを教えられるから。
逆に、御言葉を学ばずにいい家庭をつくるって、とっても難しいことをこなすことだなあとおもいます。

摂理で結婚した人たちも、もちろん、苦労や上手くいかないことも多くあるとはおもうけれど、
御言葉を学びながらつくった考えの基盤があるし、
何より神様の愛を知っているから、神様と共に乗り越えることができるとおもいます。

摂理に関係なく、結婚し子供を産むなら、最後まで責任を持てるように自分を作り、成長することって、
すべての人にとって大事なことだとおもいます。

 

あと、もちろん父と母には感謝しています。
わたしは人間として生まれて、そして神様に出会えたので幸せです。
産んでくれて、自由にさせてくれることが、なによりありがたいことです。

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