「世界中の子どもたちが」

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わたしは小さい頃、「世界中の子どもたちが」という曲が好きでした。

世界中の子どもたちが一度に笑ったら、空も海も笑うだろうという歌詞でした。

わたしはそれを聞いて、確かにそうだとおもいました。
空や海が笑うということがどういうことかよく理解できませんでしたが、
ひとまず、そのくらいの大きなことが起こりそうだとおもいました。

わたしはその曲に影響を受けて、
世界中のみんなでなにかをひとつのことをやれたら楽しいだろうなと思っていました。

みんながお金を出し合ったら、貧しい子、お金持ちの子、みんなが平等にチョコレートを食べられるし、

みんなで手をつないだら長く続いて、海もわたれるんじゃないかと思ったし、

みんなでジャンプしてドスンとしたら、ひっくりかえって地球の反対側にいけるんじゃないかと思っていました。

いろいろな人がぎゅうぎゅうになってみんなで集まったら、
それだけでなにか大きなことができそうだと思っていました。

でもわたしには、全世界を網羅するレベルでは友だちがいませんでした。
どうやってつながったらいいのかわかりませんでした。
みんなが集まるのはむずかしいことだなあとずっと考えていました。
どうしたらいいかわからないなあとおもっているうちに大人になりました。

それで、大人になるとたくさんのことが見えてきました。
人は怒り、暴力を振るい、よくないことをします。

単純にみんなが集まったら、きっとけんかしたり、盗みあったり、いがみあったりするから、
みんなで集まったら、むしろなんにもできないんだろうなとおもいました。
わたしは、ざんねんだなあ、みんなでなにかやりたかったのになあ、とおもいました。

わたしは大人になるにつれ、できないことはしょうがないということを覚え、あきらめたのです。

それからわたしは、大学生になって摂理に出会いました。

摂理ははじめ、先生ひとりではじめたけれど、
今はたくさんの人たちと一緒に神様を愛しています。

わたしは、摂理に来たばかりのころ、
日本の摂理の人たちが一斉に集まる場面を見る機会がありました。
こんなに大勢の人たちが、同じを思いを持って神様を愛するなんてすごいとおもいました。
あの人もこの人も、みんな知らない人だけれど、
わたしが聞いている御言葉と同じ御言葉を聞いて、同じ神様を愛している人なんだなとおもいました。

それから、韓国にいろいろな国の人たちがあつまって、
いろいろな言語で同じ曲を歌い、賛美する場面を見る機会がありました。
地上天国って、これだ!とおもいました。

みんな普段使う言語は違うけれど、そのとき、みんながみんな、「ハレルヤ!アーメン!」といいました。
みんな同じ言葉と同じ思いで、みんなで神様をほめたたえました。

それも、だれかに合わせて真似をしているのでも、だれかにやらされているのでもなくて、
自分が自分で心から言ったことばでした。

みんなで同じ思いを持って、なにかをすることはできないんだとおもっていたから、うれしくなりました。

神様のいる場所で、わたしの夢はどんどんかなっていくのだとおもいました。
わたしは摂理のこういうところがすきになりました。

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