かたくなな心―待つ

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かたくなな心

心に傷を負っていない人は、いないと思うんですよね。

でも、心に傷を負っていることを、かたくなに認めようとしない人がいることも確かなんです。

そんな人と話しているのは、結構話している側もしんどいもので。

なんでかっていうと、相手側の接し方が、「あなたはここまでなら侵入してきていいよ。でもこれ以上は絶対ダメ。入れさせない。」というような感じで、

どんなにこちらが優しく、歩み寄っても跳ね返されちゃうんです。

見ていて、明らかに孤独な、つらそうな顔をしているのに。

自分はそれを解いてあげることができない。「つらい」と話してさえくれればこちらは手を差し伸べてあげる準備ができているのに、望んでいないことをするのは相手にとってもよくないから、見ていることしかできない・・・。

これほどもどかしいことはないと思います。

 

どうしたらその心を開いてくれるのか

どうしたらその心を開いてくれるのか。どうしたら、その重い心の荷を、少しだけでも預けてくれるのか。一緒に背負わしてくれるのか。

これはもう、神様しかできない思うんです。

カウンセリングのスキルとか、話術とか、世の中には様々な話し方について書かれた本がありますけれども

そういうのはあくまで本音を引き出すための「手段」でしかないから、根本的な解決には、実はなんもなっていなくて

大事なのは、心の奥の奥、ず~っと深くにある問題の「根っこ」を神様が取り除いてくことでしか

本当の意味で、「解かれない」と思うんです。

故障したコンピューターを直すことができるのはコンピューターを作った人でしかできないように

心に傷を負った人間を癒すことができるのは、人間を作った神様でしかできないんです。

 

待つ「愛」

では、人間は何をすればいいのか。

 

それは、「愛」で接して、その人を信じて、待つしかないと思います。

その人が神様の愛に気づくまで

心の傷を受け入れ、向き合い、前を見て歩き出すまで

ひたすら待つしかないと思うんです。

 

神様はただ、ひたすら良心に語り掛けてくれます。そして、振り向いてくれるまで、ひたすら待ってくれます。その人が生まれるもっと前から、待ってくれているんです。これが、神様の、この世の海よりも深い、深い愛ではないでしょうか。

僕も、その神様の愛に癒されて、今があります。

今でもつらいこと、しんどいことはありますが、それでも前よりも孤独に感じることはありません。

 

いつか心に傷を負った人すべてが、神様の愛に癒されますように。

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