自分は昔から、起こってないことなのに心配しすぎて、自分で自分を苦しめて損をすることがとても多いです。
現実では損をしなかったとしても、心の中はいろいろなこと心配しすぎてパニックになって疲れるということがホントに多いです・・・。
最近もそんなことがありました。
それでまだ大変なことが起こっていないのに「なんで自分の言ったことが受け入れられない?ひょっとしてあの人自分のこと・・・」とか考えたり、
「この問題、どうしよう。どうしよう。ドウシヨウ・・・」みたいにいろいろごちゃごちゃしていて、気分が重い日が続いていました。
たまらず神様に祈って自分の思いを告げてみたら、感動(インスピレーションっていえばわかりやすいかな?)が下って
「解きなさい。」が浮かんできました。
それでまた何気なくケータイのメールを見てみたら、自分がいま気にしてる問題についてやり取りしてた方から「電話で先方に直接問い合わせたら?」と書かれていました。
それですかさず電話で問い合わせたところ、気になっていた問題が解けて、スッキリしました。自分は電話越しに話をするのがとても苦手なのですが(いつも何話すべきか、分からなくなってどぎまぎしてしまう)、話している時はまるで別人のように饒舌になって質問していました。
電話が終わってしばらくしてからこのブログを書いているのですが、書きながら感じることは
「神様はいつでも問題を解く準備をなさっているんだな。本当に解くためには自分たち人間側がどれだけ’’行えるか’’にかかっているんだな」
ということでした。
神様がいらっしゃる天の側はいつでも人間たちをサポートする体勢は整っているし、御言葉でも問題解決の手段(=すべきこと)を与えてくださっていることがとても多いですが、自分たち人間がそれを実行できなかったら、何も解決されないんだなあ・・・と感じた日でした。
〈自分のすべきこと〉をすれば「願い」がかなえられます。神様が働きかけても、地上で行なってこそ、「願い」がかなえられます。
2016.08.07摂理主日礼拝『〈自分がすべきことをすること〉は命と同じだ』
タイトルの通り、こんなことがあるたびに自分に「どんだけ心配性やねんっ」って突っ込んでます。(NORIは関西出身なので、みんなと話している時は標準語でも心の声は関西弁です(笑))
頭で先にごちゃごちゃ考えるんではなくて、行動を起こしながら問題を対処できるように、自分を作っていきたいですね。