「軸」についてのお話し〈1〉

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こんばんは。NORIです。

 

今回は「軸」についてのお話しをしたいと思います。

 

「軸」という言葉を思い出してふと考えました、『「軸」とは何ぞや?』と。

そこで、軸についてあれこれここで書いていきたいと思い、パソコンと向き合っています。

 

さて、そもそも人間における軸っていうのは何でしょうか?巷ではやっている体幹トレーニングで鍛えるインナーマッスルのことでしょうか?

でもNORIは残念ながらそこまでムキムキではありません。体育学部卒業しているけれども、在学中でも他学部の学生によく間違えられたし、初対面の人に自己紹介したら「え!?全然そうは見えないんだけど・・・」と言われることが多いです。それはそれでどうかと思うんですが・・・。ってそんな話はとりあえずおいて、軸についてですね。この「軸」という言葉の意味するところは、「精神的にしっかりしている」という意味合いでのことを言っているのは少し考えていただければわかるかと思います。ではこの「しっかりしている」というのは一体何なのか?どういう状態が「しっかりしている」状態だと言えるのでしょうか?これがわかれば、軸についてもはっきり定義できるんでないかな、と思います。

自分はこのことを書きながら、一つ思い浮かんだことがあります。それは、「『しっかりしている』というのは〈固ければいいというのではない〉ということ」です。

固いのは一見すると強そうに見えるのですが、外部からの強い圧力がかかると簡単に壊れてしまうことが往々にしてあります。ここでいう固さは何かというと「自分の持つ信念、理想」とかでしょうか。固いというのは確かに「しっかりしている」ことのファクターであることには変わりはありません。しかし、自分の考えに固執していると、何か精神的に大きなストレスがかかった時にあっけなくぽっきり折れてしまいます。特に「これがすべてだ!」と思っている自分の考えが間違っていた、となるとその衝撃はとてつもなく大きいもので、崩れるときはあっという間にガラガラ崩れてしまって挫折してしまうこともあります。

そうなると「固い」だけでは限界がある、ということです。これ、意外と多くの人が知っているようでいて知らないものだと思います。だって、みんな知っていたら「うつ病」が社会問題になるわけないですから。カウンセリングの先生に聞いたことがあるんですが、うつ病は心が弱い人がなるのではなくて、むしろ強い人が自分の限界以上に頑張っちゃって、心が「もうこれ以上頑張りたくない」といって起こっている現象なのだそうです。「強い人=心が固い人」だとしたら、これはおかしいのではないのでしょうか。

もちろん、「自分の理想、信念が固い」ことを否定したくてこれを書いているわけではありません。そのような人は素晴らしいなあとNORIは尊敬するし、実際に歴史を大きく動かしてきた人の多くは「自分の理想」を貫いて成してきたのですから。摂理の御言葉でもよく「鋼鉄の軍艦のような精神を持ちなさい」と言われます。

となると、軸がある人、つまりここで述べている精神的にしっかりしているというのは、「固い」のほかにも必要なファクターがあるわけです。そして、御言葉を学んで行なっていけば、人によってスピードに差はあれど少なくともその方向には向かっていけるのではないかな、とNORIは考えています。

 

 

書けば書くほど長くなりそうなので、次回以降またこれについて書いていきたいと思います。

〈続く〉

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