最後まで。最後まで。

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こんにちは、NORIです。

 

僕の仕事の内容として、馬のお世話があります。

日中の業務が終わり、スタッフが帰る前に馬のいる馬房の掃除、そして健康チェックを行うのです。

僕もこの健康管理をさせていただいています。

その僕が担当する馬たちの中で、背中を痛めている馬がいました。

今日はそのことを通して感じたことを書こうと思います。

 

その馬はとてもいい子で、乗り手があまり上手でなくても、キチンということを聞いてくれる馬です。

けれども、動きがダイナミックなので、とても反動が高くて、ついていくのが結構難しい馬でした。

そのため、どうしてもお尻が背中の上でボンボン跳ね上げられてしまって、その衝撃がもろに背中に伝わってしまい、背中を痛めてしまっていたのです。

 

馬自身もレッスンに出たらまた背中が痛くなることがわかっているから、お客さんが触ろうとすると警戒して噛みつこうとしました。

スタッフはその馬が噛みつこうとすると、たたいたり、大声を出して叱ります。お客さんの安全を守るためです。

でも馬はそれがまたストレスになって、またお客さんに噛みつこうとして…その負のスパイラルにはまってしまっている状態でした。

 

僕はその状況を見て、かわいそうだと思いました。

だって、人間であれば悪さをした理由を説明し、相手に事情を分かってもらうようにすることはできますが、馬は言葉を話せないのです。言葉を話せないから、行動で示すしかなくて、けれどもそれを「馬が人に悪さした」と誤解されて怒られてしまうのです。

僕は職場に来ている馬のセラピストさんにこのことを相談したら、鎮静効果のあるクリームをもらいました。そして、「それを塗ってマッサージしてあげたらいい」と言われました。

僕は、早速そのクリームを毎夕、業務が終わった後に塗ってあげて、マッサージをするようにしました。

 

最初、その馬はとても警戒心が強く、クリームを塗ろうとしたら噛みつこうとしたり、蹴ろうとしてきました。

塗っている途中でも同じようにしようとしました。

一週間、塗ってあげて、マッサージしてあげても、馬の態度は変わりませんでした。

なかなか良くならないのを見て、僕はだんだん「このことをして意味があるのか?」と思うようになってきました。

 

けれども、その時ふと、御言葉を伝えてくださった鄭明析先生の教えを思いだしました。

鄭明析先生はよく「最後までやりなさい」と教えてくださいました。

 

何かをするときも、途中で投げ出すのではなく、やり遂げる最後までやりなさい。

御言葉を実践する時も、すぐに変われないからとあきらめるのでなく、最後までやりなさい。

神様も、人生の最後まで愛し、信じなさい。

 

ーだから、僕はくじけそうになった心をもう一度奮い立たせました。

「鄭明析先生だったら、絶対にこんなところで投げ出さない。最後まで、続けてみよう」

それから、さらにケアをつづけました。

 

マッサージをするときも、真心を込めて、治るように神様に祈りながら、続けました。

威嚇してきても、噛みつこうとして来ても、怒りたい気持ちをこらえて、なだめながら、マッサージするようにしました。

すると、2週間過ぎ、3週間過ぎると、だんだん馬も警戒心が薄れてきて、次第に噛みつこうとしなくなりました。蹴ろうとしなくなりました。

さらに僕は続けました。

そうして一か月ほどたったある日の夕方の事でした。

僕はいつもの通り馬房に入り、馬をマッサージしてあげました。

そしてマッサージを終えて馬房から出ようとしたら…

 

なんと、その馬が自ら僕の方に近寄ってきました。

近寄ってきたその顔は、とても穏やかで、優しい目をしていました。

今までそんな顔は見たことありませんでした。

そして、さらに近づいてきて、僕の胸の方にグーッと、鼻を摺り寄せてきたのです。

しばらくその馬は、そのままじっとして、動こうとしませんでした。

 

僕は「ああ、やっと通じたんだ」と思いました。瞬間、胸が熱くなりました。

僕はその馬の鼻筋を優しくなでてあげました。

馬も全く怒るそぶりも見せず、ただじっとしてくれていました。

 

その日から、その馬は素直にマッサージを受けてくれるようになりました。

それどころか、マッサージをしようと背中を触ると、馬が馬房の真ん中で、じーっとしてくれるようになりました。

クリームをくださったセラピストの先生にも

「NORIさんが触ると、その子とても穏やかになりますね」と言ってくれるようにまでなりました。

今もまだ治療中です。もっとこの子が良くなることを願います。

 

この一件を通して、神様も僕たち人間と疎通できることが何よりもうれしいんだな、と感じるようになりました。

そして、僕たちが御言葉の内容を誤解したり、変わりたいけれどもなかなか変われなくて嫌になっていても、それを怒るのではなく、優しく包み込む神様の懐の深さを感じるようになりました。

なぜ御言葉を与えてくださるのか、なぜ様々な人を通して、万物を通して、助けてくださるのか。

それは、それを通して人間と「通じ合いたい」からなんだなあ、と悟るようになりました。

神様の、僕たち人間に対する深い愛と心情を、また一つ悟れるようになりました。

 

何か失敗したり、上手くいかなかったとき、「自分はどうせだめなやつだ」なんて思わないでください。

そんな方にこそ、神様はより一層、救いの手を差し伸べてくださいます。

前を向いて、一つ一つ、乗り越えていきましょう。

そうすれば、新たな喜び、希望が見えてきますよ。

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