私は、「普通に」「ほどほどに」という言葉を以前はよく使っていました。
何をするにしても、ほどほどに。
勉強をどれくらい頑張るか?
ーほどほどに。
スポーツとかの大会、どこを目指すか?
ーそんなの、どうだっていいじゃない。みんな一番になれないから、楽しくやれればいいんじゃない。
とか。
普通とか、ぼちぼちとか、そうしたことを言っておけば、何かあった時に保険がきくし、言い訳がつくから、頑張りすぎて精神的におかしくなりそうだから、その言葉をよく使っていました。
でも、最近、その言葉が嫌いになってきました。
なんというか、面白くない。
ほどほどにやれば、確かにそこまで頑張らなくて済む。
嫌な思い、悔しい思いをしなくて済む。
自分が傷つかなくて済む。
確かにそうだけれども
でも、「ほどほどに」やってみたら、そのあとに得られるものも中途半端で
後悔をしすぎないように「ほどほどに」やっていたつもりが
後になって、そうした自分に後悔している自分がいる。
傷つかないように「ほどほどに」やっていたのに
なんだか、未練が残っている。もやもやしている。不完全燃焼になっている。
心と思いを尽くして行えないと、くすぶったままになっている。
自分の過去を振り返って考えてみた時、ものすごく頑張ることを、あんまりしてこなかったな、と思います。
いつもどこか逃げ道を作っていたというか。
それは自分の、神様に対する態度でもそうだったな、と感じることがありました。
別に、何か大きな出来事があったとか、雷が落ちたような悟りがあったとか、そういう大それたものはないのだけれども
自分って、いつもどこか、もう一歩、一生懸命になりきれなかったなあと
ふと頭をよぎったことがあって。
もっと、突き進めて、ちゃんとやらないといけない。
ほどほどにやることが、一番自分が自分に、あるいは神様にうそをついている。
一生、一度しかない人生を、ほどほどに終わらせていいものか。
それだと、ほどほどのモノしか、残せない。
それは、あまりに無念じゃないか。後悔するではないか。
太陽のように、私を愛してくださっている神様に、そうしてよいだろうか。
私は、これからは目的を成すために、極まで、突き進める。
ほどほどではなく、極まで振り切ってやって行く。