月明洞は今まで何度も行きました。
そのたびに私に希望と癒しと力を与えてくれる場所でした。
そして神様に栄光を思う存分帰すことができる場所でした。
雑草といばらの山奥だった月明洞の雑草を全部なくしてきれいに作って、
石と木で満ちた神様の聖殿に開発したように、
自分の脳の腐った考えをきれいに掃除してなくし、
永遠でいらっしゃる神様と御子の御言葉でびっしり満たしなさい。
そうすると神様と聖霊様と御子がその脳を主管し、お使いになる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
月明洞は私が初めて行った90年代後半。
雑草も今よりいっぱいありました。
まだトイレも水洗トイレで無かったし、雨が降っても屋根があるところは殆ど無く
バスの中で休んだことも多々ありました。
お店も近くには無かったし便利かどうかと言われると、不便なところもあったかもしれません。
でも私は月明洞に行くたびに凄いなと思っていたところは
「常に変化すること」
です。
一段階ずつ次元を上げて開発したというのは本当のことです。
一か月後に行ったとしても、どこかしらが必ず変わってる。
全く変わっていない月明洞を今まで一度も見たことが無いのです。
それは90年代後半から今までずっとです。
じゃあどこが変わったのか?
それを全てあげるときりがないくらいです。
今日は一つ、<道>についてお話しします。
私は97年頃に月明洞の中に道をつくることを
鄭明析牧師先生や日本摂理メンバー達と一緒に行いました。
道というのは当たり前のように私達のそばにありますが
最初からそこに道があったわけではありません。
道をつくるというのはとっても大変なことです。
まず道をつくるのに適した場所なのかどうかというところから始まり
草が生えていたら草をむしり、石があればどけ
そういったことを延々と繰り返して更地になります。
これ、言葉にすると何だか簡単ですが
かなり大変です(-ω-)
草むしりをしたことがある方は分かるはず。
草むしり自体大変だけど、それを続けてしないとすぐに草って生えてきますよね。
除草剤使いまくると周りにも影響がありますし。
月明洞は基本、<山>ですから除草剤を例え使ったとしても限界があるでしょう。
草むしりという意味でも道の管理が必要です。
そして更地になっても、土のままだと雨が降ればぬかるみ状態になります。
神様に祈りながらいつも道も作られています。
コンクリートにしたほうがいいところはコンクリートになっています。
コンクリじゃなければ小石が道にあります。
小石があるとぬかるみで足がとられるということもなくなります。
でも小石も運ばなければ天から降ってくることなどありませんよね。
小石を運び、道に撒く。その繰り返し。
ダンプが全ての道に入れるわけじゃないから
地道に手作業を繰り返すこともたくさんあります。
以前に比べて月明洞は散策(ハイキング?)が出来る道も増えました。
「あれ?こんなところに道があったっけ?( ・ω・)ノ」
と思うこともよくあります。
道一つとっても、毎回どこかしらに新しい道が出来ていたり
より綺麗に舗装されていたりします。
鄭明析牧師先生や多くの人達が今までも頑張ってこられたし、また今では世界各国から多くの人達がボランティアに来ています。
・・・と書くと、これまた簡単ですが
実際は毎日の地道な行いであり、結構体力を使う。
全員が出来る技術があってやってるわけではないです。
でも祈りと真心が本当に込められています。
そうして月明洞は変化しました。
月明洞は元々綺麗なんですけれどどんどん次元を上げて綺麗になっていく。
そのように自分も変化できる!
このようにすれば変化できる!
月明洞を見ていると本当にそう思うのです。
人は言葉だけで言われても影響を受け力を得ます。
でも実際に変わったものを目の前にしたときに
どれだけ力を得るし、どれだけ希望がわくでしょうか。
月明洞は
「このようにこうだ」
と今日も私に教えてくれています。