言いづらくても、自分が足りても足りなくても、相手が受け入れても受け入れなくても、「話す」という責任は自分にある。
話す責任を果たしたなら、後は相手側に責任がうつる。
マタイによる福音書7章7節
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
神様は話し、求めは必ず聞いてくださる。その求めがいつどのような形で成されるかは、神様次第。
話すにしても、話しやすい、話せる環境になっていることも大事ではある。
神様は地球上で最も「話しやすい」かただと私は強く思う。