「特別に愛してほしかった」
「一番に私を愛してほしかった」
この欲求に気づいた私は、どうするべきか考えました。
どうするべきか、そう思いながら過去の御言葉を読み返していると、先生が「愛の本質」という主題で話してくださった御言葉がありました。
私がどのようにして神様の愛を知るようになったかわかりますか。神様は私に大きなショックを与えました。そのショックを通して神様が私を愛しているということを悟るようになりました。自分が神様を愛さないと神様が自分をどれほど愛しているかわからないんです。自分が神様を愛するまでは、神様が自分を愛しているかどうかをわからないんです。皆、普通の愛はいつもしてきました。そして神様に愛するという表現を使っていますが、本当に心と思いと命を尽くして神様を愛したことがあるのかということです。
私はこれを読んで、何かつかめそうな感覚を感じました。
暗闇だった状態から、少し光が見えてきた。そんな感じがしたのです。
しかし、同時に、ある不安がありました。
本当にできるのだろうか?という、不安がありました。
今日の御言葉で、以下の御言葉がありました。
「愛は努力だ。もがきだ。絶え間ない成長だ」
愛において「結婚」は終わりではなく始まりだ。
結婚するまでも「努力」しなければならないが、結婚生活を維持するためにも努力が必要だ。新婦は新郎に、新郎は新婦に、初恋のような熱さを求めるわけではない。
初恋の時のように愛そうと努力する心、
初恋の時のように愛を表現して、
愛を与えようと努力する変わらない行いを願うのだ。
初恋の燃える心が、時間の流れの中で経緯(いきさつ)を生み、
その経緯が、情を生み、
深まった情が、永遠な一体を生むようになるのだ。
できる、できないの問題ではなかったのだ。
やるか、やらないかの問題なのだ。
そのもがきを、神様は愛だと受け取ってくださるのか。
今のもがきも、必要なもがきだ。
そう思うと、何か、頑張る力が出てきました。
神様を愛する行いを、生活の中で少しでも多く。行っていこう。
その中で、私の問題の答えを何かつかめたらいいな。
否。
つかみたい。