能力のある人より、やろうとする人の方がもっとすごい。
またそのような人が長く行なう。
どうしてか?
失敗し、間違ったとしても、
やろうとするその心が自分を矯正し、
神様が矯正してあげたら、またすぐに矯正されるからだ。
考えの祝福があなたに満ち溢れ、喜び楽しむ人生の道になることを神様は願い、祝福してくださる。摂理の御言葉より
摂理の使命でも、仕事でも、部活でも、芸術でも、研究でも、何の分野だとしても
「やろうとする人」以上に凄い人はいない。
素質があっても、能力があっても使わなければ、うさぎが亀に負けるようなことになる。
「私、〇〇やりたいんですけど、能力が今は無くて(TT)」
という風に相談されたら私は答える。
「やろうとする心一つがあれば大丈夫だよ。みんな、能力があるからやってるんじゃないんだよ。やろうとする心があるからやってるんだよ。」
それが御言葉通りのこと、大きな真理だから。
私が摂理に来てからおそらく能力として一番のびたのは料理だ。
得意不得意の問題ではなく、それ以下のレベル、要は全く料理をしたことがなかったところから始まった。前向きに考えれば伸びしろが周りの人より格段にあったのだ。ほほほ。
まあ、それはさておき。お米のとぎ方すら怪しい、カレーも作ったことも無いような私が
何故、料理が出来るようになったのか。それは「やろうとした」以外の理由が無い。
ひたすら、毎日のようにやった。
失敗しても「皆に料理作ってあげたい!」と言う思いと、何よりお腹空かせてる大学生達を目の前にし(笑)、何もしないではいられなかった。
毎日、総計で30人分くらい作っていた。失敗したこともたくさんあった。それでも先輩達に学びながら一つ一つ作っていった。
いつしか「りおさんの料理は美味しい」と周りの人が言ってくれるようになった。実家に帰って親に料理を作ってあげると、口数が少ないお父さんが「美味しい」と言ってくれた。
ドラクエやFFはレベル1からスタートするが、レベルマイナス50くらいの戦う気持ちすら全く無かった戦士が
レベル40くらいになったようなそんな感じ(ドラクエ世代なんです)。
私は元々、何か特定の能力があったわけでもないし、今でもあるなんて思ってない。でも今に至るまで能力的にも上がったこと、そしてやり続けることが出来ていることはやはり「自分がやろう!」と思ったこと他ならない。
自分がやろうとおもうと、
バケツをひっくり返したような雨が降ろうが、
槍が降ろうが、
自分が病院のベッドで寝ていようが、
風邪をひいてインフルになって高熱が出ようが、
上司から叱られて、しゅーんとした気持ちになろうが、
お腹が空いて、家の中に食べ物がなくて早くご飯食べたいなーってときだろうが、
疲れて帰ってきて、ベッドにバタンキューしたいというときだろうが
行ない続けることが出来る。
(注:無理しすぎてはいけません、あしからず。全て私の体験談なり。)
出典:ランドヌール
「やろう!」と思えることが、そもそも祝福なんですね、神様。
まだまだ出来てないことなんて、足りないことなんて、たくさんあるけれど「やろう!」とする気持ちは、<最後>までもっていたい。
主よ、感謝します。