[Word]「イエス様を近くして生きる」ー1998年7月4日(土) 朝の御言葉より抜粋

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イエス様についていったとしても、イエス様と近くして生きるべきであって、遠くにして生きた人は効果がありませんでした。雲のように多くの人がついていきましたが、実際、救われた人はそんなに多くないです。いくら明るい電気の明かりがあるとしても、遠くにいたらその明るさの恩恵を被る事ができません。だから、闇に打ち勝てるためには、光の前に行かなければなりません。目で光を見たのと、生活でその光を使って生きるのとでは異なります。明かりは遠くにあっても目で見えます。しかし、その光を使って本を読むとか、暗い所を照らすときには役に立ちません。神様の御言葉も歴史も同じです。

光に関する話をしています。光による恩恵を被るためには、近くにいなければなりません。そうする時、闇のことを精算できます。天の国は冷たいです。原理原則で、計りで物を計るようにします。10キロなら10キロだし、100キロなら100キロといいます。11キロなのに12キロだとは言えません。アブラハムやダニエルやヨブも、自分のことしか救えませんでした。隣にいる人のことを救えません。神様は救いのことをそのようにつくっておきました。試験の時も、それぞれが答えを書くんです。だから普段から御言葉をよく理解しなければなりません。
信じて行うことによって、救われます。信じたら心が嬉しくなります。それに行いまでしたら、体もよろこびます。神様は、裁くことより救いを願っていらっしゃいます。裁いてしまったら、救うことはできません。だから裁かなくても救いは与えなければならないんじゃないですか。

御言葉をたくさん聞いて、根本を知っている人達は、死の世界に埋もれたりしません。だから御言葉が大事です。御言葉を聞いたら、困難に打ち勝てるようになるし、理想世界をなせるようになるし、自分が星のように日のように輝くようになります。そのようにして歴史が変わっていきます。それはお金でできるようなことではありません。いくら善良な行いをしたとしても、できることではありません。救い主がいなくては、救いはありえません。

理解ができてもできなくても、とにかく最後までついていけばいいです。最後まで耐え忍ぶ人は、救いを得られると言いました。

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